威嚇と挑発の行方
少し前の話。
夕刻、厚木の市街地を車で走っていた時、長い塀の向こう側に何台かの車が止まっており、人だかりが出来ているのを見た。
「何だろう?何かあったのかな…」
辺りは既に薄暗くなっていたが、門から出てきた人たちが黒い服を着ていることは認識できた。
弔事か…?お葬式?
その時、小柄な男がこちらに向かってきた。距離はまだおよそ10m少しはあったかと思う。
男は両手をポケットに入れ、体を左右にクネクネ曲げながら、首もコキンコキンと傾げつつ、奇妙・奇天烈な歩き方でこちらに向かってきた。
かなり、異様な歩き方だった。失礼ながらどこか体が悪いのかと思ったほどだ。
私は車を止めた。
すると男は、すぐさまこちらに手のひらを向けて車を制止するポーズをとった。
見ていると、大きな門から何台かの黒塗りの車が出て行った。
周りの黒服(喪服)の男たちは頭を下げて車を見送っていた。
このようなシーンは映画やドラマで見たことがある。
実物を見たのは初めてだ。
本当にこんなことやるんだ…。ビートたけしの映画はリアルだったなぁ、と思った。
男の行動はとても分かりやすい「威嚇行動」だったと言える。
薄暗くやや狭い市街路で通り過ぎる車を止める手段としてはかなり確実・有効的なやり方。
あれで止まらないのはヤンキーが運転する車くらいであろう。
一般に、人はおかしな・見慣れぬ・奇妙なものを視認した時、思わず立ち止まり何があったのか確認しようとするものだ。
しかし、お葬式で参列者の送り迎えをやっているのだったら、あんな方法でなくてもこちらは道を譲る。何人か塀沿いに組員を立たせて置けば良いじゃん。
見りゃ、何やってるかくらい分かるよ。
それにしても、あのクネクネ男はいい仕事をした。
「挑発」と言うのは相手が先に手を出すことを狙い、それを誘発するために行うものだ。こちらが先に手を出せば「先制攻撃」。それでは都合が悪い場合に人は挑発を行う。
「先にやったのはお前だろう。こちらはやむを得ず防衛行動をとっただけだ。これは国際法で認められている」
その内容がたとえ過剰防衛だとしても「大義名分」が欲しい時に、人・組織・国家はこのような行動をとる。
「やれるものだったら、やってみろよ。俺はお前なんかに負けるわけがない。何故なら、XXXXXXだからだ。ほら、やれよ、やってみろよ。ほ〜ら、ほ〜ら、お前のかぁちゃん、でべそ〜。」
こう言われると、”男”たるもの黙っていられない。特に「かぁちゃん、でべそ」は許されない。
こんなことを言われて反撃しないようでは、今後も相手から、とことんバカにされ続けることになる。
それに、おそらく私の母は「でべそ」ではない。人のことをバカにするにもほどがある。絶対に許さない。
と、まさに子供の喧嘩状態であるが、かように単細胞の男を挑発することはさして難しいことではない。
この心理、女性には理解不能かもしれないが、バカな男たちが愚かな喧嘩を始めることに大きな理由は不要なのだ。
諍いはいとも簡単に起きる。
当事者が「バカ」であれば…。
「無謀な先制攻撃妄動に狂奔すれば、軍は警告もなく、最も壮絶な懲罰の先制攻撃を見舞うであろう」
「世界がこれまで目にしたことのないような炎と怒りに直面することになる」
どちらの指導者も第3者からすればとても分かりやすい「威嚇と挑発」をやっている。
ガチンコ勝負の結末は誰の目にも明らかであるが、それは大いなる破滅をも意味する。被害は広範囲、大規模になることは間違いない。
2大国が、この無意味な喧嘩を傍観しているのは、当事国に国境線を有するからだ。不要にどちらかに加担したことにより、おかしなことに巻き込まれるのは迷惑千万だ。
周辺の2大国は思う。
「ミサイルやICBMなんぞ、勝手に作らせておけば良い。どうせ、こちらには打てない。もし撃ってきたら、1万倍にして返してやるだけだ。最終的には人と兵器の数の多い方が勝ち」
…傍観できる。
万一の時にだけ、国境線には大規模な地上部隊を配置することだろう。それだけ。
それ以外のことに首を突っ込んでも得することは何もない。
この2大国は、国際社会での名誉ある地位を追求している訳ではない。現実の行動原理はその逆だ。だから今後も傍観する。
一方、我が国の状況。
もし、海を隔てた2国間で紛争が起きれば、間違いなく何らかの巻き添いを食うことになる。
その時、ミサイルが何発飛んでくるか不明だ。
相手にとっては、1発撃ってしまえば後は何発撃っても同じこと。よって、ありったけのものを腹いせにぶち込んでくる可能性がある。
勝敗の行方に関係せず、私たちは道連れだ。迷惑千万。
くるのはミサイルだけではない。
日本海側の海岸線に向けておぞましい数の工作員が漁船に乗ってやってくるであろう。
彼らは、ひょっとしたら体に爆弾を巻いている可能性もある。彼らは死を恐れない。面倒なことになる。
彼らは、恐らく闇夜に紛れてやってくる。
民間人を巻き込んだ海岸線での地上戦は避けられない…
相手は挑発を続けているが、私たちに「先制攻撃」は許されていない。
1打目を受けた後の反撃行動にしても、私たちがイニシアチブを取ることはあるまい。安保条約に基づいて長兄の言う通りに動くことになる。私たちには殴られ損になる。
永田町では、早速「存立危機事態」を拡大解釈することにより、弾道ミサイルを迎撃して見せ、我が国の忠誠心を長兄に示そうとの議論が始まっているようだ。
(やっぱり、あいつらはそう言う企みをする輩だったのだ)
因みに、グアム・ワシントンを狙って発射されたICBMを日本海に配置されたイージス艦から迎撃することは恐らく不可能だ。
ICBMが愛媛・高知の上空を通過する頃はまだ宇宙空間に向けて加速中の段階。
対艦ミサイルは追いつけない。
標的はミサイルではなく大陸間弾道弾だ。
第1宇宙速度(7.9Km/sec、28,440Km/h)を出せるロケットでないと、ICBMには追いつけない。因みに、同じ速度を出せることと命中することは技術的な難易度に違いがある。
「本当に迎撃できるのか?」との議論は、相手がミサイルかICBMかで全く内容が異なる。
史上かつてICBMを迎撃した実例はない(当たり前だ。撃たれたことがない)。
イージス艦が迎撃するのは「ノドン」までだ。
それよりも、余計なことをすると、長兄より先に当方がカリアゲ君の先制攻撃を受けることになる。
悔しいが我が国にはどうすることもできない。
先制攻撃は不可。
報復攻撃も限定的。対立を終結させる武力を日本は単独では持ち合わせていない。喧嘩の行方は長兄次第だ。
これが私たちの行く道だ。
この睨み合いは当面継続するだろう。
カリアゲ君には、この挑発と威嚇をやめる理由がない。
やがて、30年も経つと長兄たちに匹敵するロケット工学技術を有するようになるだろう。
そして、繰り返しになるが大国はこれを武力行使してまでは止めない。なぜなら、既に保有しているものにとっては当たり前の武器(おもちゃ)であるから。そして先ほども言ったが、どうせ撃てない。
キリキリしてまで話し合うほどのことではない。焦るのは日本と半島の南側だけだ。
長兄からは、やはり先制行動はできない。
だから膠着は続く。
いつまで?
少なくとも、双方の指導者が交代するまで。
しかし、カリアゲ君はまだ30年くらいは現職だろう。
2050年にもなれば、6ヵ国の代表は全て交代しているはず。
この頃まで、事態は進展しない。
その頃、日本はどんな国になっているだろうか…
今、2017年の夏。
試行〜テレワーク
実は今日、「テレワーク」を初めてやってみた。
今、東京都と政府が推奨している在宅勤務というものだ。
一度、やってみようとは思っていた。
今回、初めてである。
そして、その感想、所感。
1.ビジネススタイルに着替えなくていいので服装がすごく楽。リラックスして仕事ができる。私は、ステテコ(ユニクロ製)とTシャツでした。
2.何よりも、あのアホみたいな通勤をしなくてもいい。これが最高。
3.休憩したいときに、気兼ねなくできる。コンフォート。
4.極めて、集中して仕事ができる。何より、周りに雑音、煩悩を刺激するものがない。おそらく、オフィスにいた時の1.5倍くらいのスピードで仕事ができた。
5.リッラクス、気分転換したいときに、身近なもので晴らせる。私の場合、ネコ。今日も思考に行き詰まった時、2〜3回抱っこした。
6.自分の部屋で執務をしているので環境は最高。室内温度は最適。因みに、私はBGMはかけない。完全に沈黙の中で執務を行う。
7.デメリットはあまり思い浮かば使いないが、敢えて言えば集中力の持続が難しいことか…。これは自意識の問題であり、人の監視がなければ集中力が保てない人はそもそもこのような勤務形態はそぐわない。意識高い系であることは最低条件。
総括すると、何でもかんでもではなく、バッチ処理をさばくのに適していると感じた。
私の場合、今日は某事業所向けの研修資料を作成したのが大半の仕事。つまりコンテンツ制作だ。
このような1点集中型の業務が「在宅」に適しているのは自明だ。漫画家先生たちの仕事がそうであるように。
ともかく、この炎天下、JRに乗ることを免除されたことが最大のメリット。
成果は出した。
これでいいじゃん。
飛べ!
小学生の頃の幼馴染との会話。
「ゆず、エキスポランドのダイダラザウルス(ジェットコースター)って4号車と5号車があるらしいけど、どっちに乗る?どっちも、相当ヤバイらしい。」
「どう違うの?」
「4号車は”急旋回型”だって。振り落とされるくらい、右左に揺れるんだって」
「えっ…」
「5号車は”高速型”。めっちゃ、早いんだって。時速70Km以上らしい」
「うっ…」
「どうする?」
「…、どうせ怖いなら4号車…」
「え〜!やめようよ。」
「5号車は怖くないと?」
「いや、分からん…」
「そもそも、怖くなければ乗る意味あらへんよな」
「そやね…」
と、いうことで私と彼は4号車に乗った。
とにかく、我々は手摺にしっかりと捕まって乗った。2人は走行中、叫び続けた。
しっかりとバーを掴んでいたが、コースターは右に左にローリングしたため、体は大きく揺れ動いた。横Gは凄まじく冗談ではない怖さだった。
ほんの数分の時間であったが、コースターから降りた際、足元がふらついていたのを鮮明に覚えている。
当時のエキポランドのコースターは、全国一のスリル乗り物だったと思う。その頃、富士急ハイランドにどのよなコースターがあったのかは私は知らない。
・・・・・
以前、友人から聞いたことがある。
「ジェットコースターが下りに差し掛かるとき、両手を挙げるとすごく気持ちがいいよ」
「?」
私には意味が分からなかった。何で、わざわざ、そんなことするの?それでなくとも、怖いのに。
そういえば、遊園地で見てみると、そうしている人が結構いた。
私は、今でもそんなことはしない。
しっかりと、バーを持ってコースターに乗っている。それが、自分の流儀だ。何で、わざわざ手を離す必要があるのだ…。意味不明だ。
・・・・
八景島シーパラに「free fall」という恐ろしい乗り物がある。
私と息子はこれには乗らなかった。
二人の意見は同じ。
「これはヤバイ」
100mの高さから、自由落下するという代物だ。
これに乗る人の理由が分からない。
何かあったら、どうするんだ…
・・・・
この間、どこかの遊園地で、バンジージャンプの紐が切れて、飛んだ人が怪我をしたそうだ。
私は同情しない。
エレベーターの紐が切れるのとは意味が違う。
バンジージャンプに安全装置はない。そんなこと、子供だって分かるだろう。
私は同情しない。
ジェットコースターで両手を挙げるのとはレベルが違い過ぎる。
何故、人はバンジージャンプを好むのだろうか…
「まさか、紐が切れるとは思っていなかった」という人は、真剣に自らの頭脳、思考力、危機管理能力を疑った方がいい。
それ…、どんな根拠だ?
NEXT ONE
・あまり見かけないこと
・大き過ぎないこと
・変わった形が良い
・何でこれ?と聞かれたい
・あれ、これ、ここ、と説明したい
・皆んなと同じは嫌
・カッコイイ
・メカニカルなこだわりがある
と、いうことで…
・4460×1775×1480mm
・1.6ℓ、DOHC16バルブ、デュアルAVCS
・85Kw/6200rpm、148N・m/3600rpm
・CVT、リニアトロニック
・ストラット/ダブルウィッシュボーン
・4WD、アクティブトルクスプリット
にします…
次の車。
IMPREZA…
しかし、妻は否決…
「miniにしなさいよ」
「!…」
エリーの正体
高校生リオ・ビーダマンは、その夜行われた天文学部の天体観望会に参加していた。
彼は、アルゴルのそばに見たことのない天体を発見する。隣で同じ天体を見ている幼馴染の彼女、サラは「あれはメグレスよ」と言うが、ビーダマンは違うと思っていた。
「これは未知の天体に違いない」
彼は顧問のアドバイスに従い、未知の天体の位置を記録し、写真を撮って天文学者であるウルフ博士に送った。
後日、ウルフ博士はその写真・データを受け取ると、その未知の天体が彗星であると直ちに認知した。そしてすぐさま、彗星の軌道計算を行った。
ウルフ博士は、お気楽に音楽を聴きながら、また、ピザを食べながらコンピューターを操作していたが、計算結果を見て思わず身を乗り出した。
大きなピザ片は音を立てて床に落ちた。
その軌道は、太陽から3番目を周回する惑星のそれに見事に交差していた。衝突軌道だった。
彗星が交差点に到達するのは、およそ2年後。
ウルフ博士は、この重要なデータを政府機関に移送する途中、不慮の交通事故により命を落とす。
事故現場には、ウルフ博士の車の残骸以外に、偶然車外に放出された彗星軌道を保存した記録媒体が残されていた。
それから1年後…
CNN のジェニー・ラーナーは財務長官の辞任の真相を追っていた。政策の失敗による更迭、妻の療養看護、エリーという名の女性との不倫、等が取りざたされたが、どれも決め手に欠けていた。
ラーナーは、事の真相を突き詰め、それを手柄にニュース番組のバックヤードからキャスターへの転身を狙っていた。
ラーナーは財務長官の元秘書への聞き込みから、不倫説を確信するようになっていた。
元秘書は言った。
「エリーのことは大統領も知っている」。
彼女は、偶然、ベック大統領との接見機会を得たことから大胆な申し入れをする。
「エリーについて単独インタビューさせて下さい」
ベック大統領は「エリー」の名を聞いて一瞬驚いたような表情をしたように見えた。
そして、「2日間だけ待ってほしい」と言った。
「待つことが国民の為になるし、君の手柄にもなる」と。
ラーナーは訝った。
「不倫スキャンダルごときで大袈裟な…」
2日後、大統領が自国民だけでなく全世界に発表した内容は「1年後に巨大隕石が地球に衝突する」と言う衝撃の事実だった。
そして、隕石の軌道を変えるための巨大宇宙船を衛星軌道上に建設済みであると。
その宇宙船は ”メサイア(救世主)” と名付けられていた。
巨大隕石の名は ”ウルフ・ビーダマン”。発見者2人の名がつけられていた。
ラーナーは大統領の説明を呆然と聞くしかなかった。
「私の探していた真実はこれだったのか…」
大統領は記者からの質問の一人目に、呆然自失で挙手すらできていないラーナーを指名した。
ラーナーは感情を押し殺すように言った。
「財務長官はメサイア計画を信じられず、家族とともに死を迎える為に政府を去ったと私は思っています。他にもそう考えている閣僚はいないのですか?大統領はメサイアが本当に地球を救えるとお考えですか?」
ベック大統領は質問に答えなかった。
ただ、ラーナーをじっと見つめるだけだった。
ラーナーは考えていた…
「エリー(ELE)とは、Extinction Level Event(人類滅亡)のことだった…」
・・・・・・・・・・・・・・・・
1971年、地質学者ヤン・スミットはスペイン、カラバカにいた。ここには、白亜紀時代の地層を採取できる丘がある。
彼は、白亜紀と第三紀の地質の変化を研究する為に永らくここに滞在していた。
地質に含まれる堆積プランクトンの化石の変化状況から、その時代に起きた環境変化の内容を類推しようとしていた。
しかし、彼にはここ最近、悩まされていることがあった。
第三紀と白亜紀の地層の隙間を”KT境界”と呼ぶのであるが、ここに 通常必ず存在するはずの”有孔虫” と言うプランクトンが全く採取・観測されないのだ。有孔虫は、全世界の海中に堆積されている。
「何故、KT境界には有孔虫が存在しないのだ?この時代に何かが起きたのだろうか?」
地域ごとの地層の含有物にばらつきが出るのは理解できる。しかし、全く何も観測されないとは一体どう言うことなのだろうか。
ヤン・スミットは、何らかの原因でジュラ紀の終わりに ”大量絶滅” があったのではないか、と考えるようになった。
「プランクトンすら生き残れない環境変化とは。一体、地球に何が起きたのだ…」
ジュラ紀とは、恐竜が生きた時代である。恐竜は、およそ1億5000万年前から6500万年前まで生息したと言われている。
1億5000万年前といえば、それまで1つであった大陸がマントルの動きにより分断され、移動を始めた時期と一致する。
同じ時期、地質学者ウォルター・アルバレスは、イタリア、グッピオのコンテッサ石切場にいた。
ここには石灰岩でできた崖があり、各時代の地層がむき出しになっていた。アルバレスは、ここの地層調査によりアペニン山脈形成の経緯を明らかにしようとしていた。
彼は、爬虫類から哺乳類への生態変化にも強い興味を持っていたが、この地のKT境界から何ら化石が発見できないことに疑問を持っていた。彼はここの岩石サンプルを採取し、それを持ち帰って父親に相談を持ちかけた。
「この地層には何故、何もないのだ?いや、何か存在するのか?」
彼の父親は、ルイス・アルバレス。物理学の大家である。
ルイスは、この岩石の分析をUSAのローレンス・バークレー国立研究所に依頼した。
その結果、このKT境界には他の地層の30倍ものイリジウムが含まれていることが判明した。
イリジウムは、隕石に含有するなど主に地球外に存在し、宇宙から緩やかに地上に降り注ぐことで地表、海底に薄らと堆積している。
KT境界だけに何故このように大量のイリジウムが存在するのか。一体、このイリジウムは地球外のどこから運び込まれたものなのだろうか。
アルバレス親子は、考え尽くした結果、ある仮説に到達した。
このイリジウムは、巨大隕石の衝突によりもたらされたものである。隕石の大きさはおよそ直径10Km。エベレスト山より大きく、マンハッタン島と同じ規模である、と。
そして、もう一つの画期的な仮説。
ジュラ紀における恐竜の絶滅は、この巨大隕石の衝突によりもたらされたものである。今から、およそ6600万年前に起きた大事件であると。
エベレストとマンハッタンの比喩は、冒頭に書いたベック大統領会見においても全く同じものが用いられている。
当たり前だが、有識者の多くはこの説を信じなかった。
無理もない。荒唐無稽である。
旧権威の側にいた人たちは言った。「証拠は?」
証拠となるはずのクレーターは、計算では直径200Km程度と推算された。
地上にあれば、誰が見ても分かるはずの巨大クレーターである。しかし、世界中見渡しても、そのような巨大モニュメントはどこにも見当たらなかった。見つからなかった。
1978年、資源探査家のグレン・ペンフィールドは、メキシコ石油公社の依頼を受け、メキシコ湾ユカタン半島で油田探しをやっていた。
彼は、航空機搭載の磁気センサを使ってユカタン半島沖の海底地形調査に没頭していた。
彼は、海底のプロット地図を作っていてあることに気がついた。
ユカタン半島の沖に、巨大な半円形の模様が存在するのだ。それは、直径180Km。関東地方がすっぽりと入ってしまうほどの大きさだった。そして、その模様の延長は地上にあるものと一致し、見事な円形を描くのだ。
彼は、これまでの経験からこれが火山の跡ではないことが分かっていた。これは、紛れもなくクレーターだ。彼は確信していた。
しかし、この発見はメキシコ石油公社の意向により公にされることはなかった。いや、一度だけこっそりと表にでている。1981年12月13日付けヒューストン・クロニクル新聞にユカタン半島沖の巨大クレーターについて報告記事が掲載されていた。
大学院生であるアラン・ヒルデブランドは、「アルバレス仮説」の熱烈な支持者だった。彼は、何としても仮説の証明となるクレーターを発見したいと思い日夜探検(証拠探し)に励んでいた。
1983年、彼はテキサス州ブラジス川にある地層で、とてつもなく幅広いKT境界を発見する。通常、1cm程度の境界がここでは1mも存在するのだ。
境界に含まれる岩石を分析した結果、そこに津波による堆積物が多く含まれることが分かった。
「6600万年前、この地域で大きな津波があったのか?それも桁違いの巨大津波が…」
彼は、この幅広い体積が「アルバレス仮説」の証明になるのではないかと考え、隕石の落下位置を推算した。
中間点はユカタン半島になる。
その時、とある記事を思い出した。グレン・ペンフィールドがヒューストン・クロニクル新聞に投稿した記事だ。
ヒルデブランドは覚えていた。あの記事を…。
やがて、ヒルデブランドとペンフィールドは共同でユカタン半島の調査をすることになる。
1991年、ユカタン半島沖で採取された岩石から ”衝撃石英” が採取される。
これが決め手となった。
衝撃石英は、核爆発クラスの極めて大規模な圧力下で生成されるものだ。
ここに”衝突”…Deep Inpactがあったのだ。
落下跡は、現地の地名をとって「チクシュルーブ・クレーター」と名付けられた。
エリーは実在したのだ。
今、「巨大隕石衝突による恐竜絶滅」を否定する人は少数派だ。
エリーの正体をつかんだのは、天文学者ではなかった。
解明は、門外漢と言える人たちの共同作業により、偶然成し遂げられたと言っても良い。
6600万年前の出来事…
J:com Stupid …
J:com Smartがスマートではないことは以前も書いた。
このシステム、使っていく間に色々と不具合を起こす。
特に、チューナーが勝手にリブートする、ルーターがダンマリを起こす、リモコンの反応が悪くなり操作性が著しく低下する等の迷惑は、誰もが経験しているのではないだろうか。
このシステムは今でもバージョンアップが頻繁に行われてが、その理由は性能向上/機能追加もさることながら、相次ぐ不具合/バグ対策に追われていることも事実だろう。
さて、発展途上のシステム(サービス)であることに文句を言っても仕方がないので、対策をいくつか紹介しておく。内容はとても単純なことだ。
まず、「チューナーが勝手にリブートする」はどうしようもない。プロバイダからの不具合対策を待つしかないが、ひょっとしたらこの現象は永久的に改善されない可能性がある。
そもそものプログラムの出来が悪いことが原因。
ファームウェアの暴走が主たる原因であろうが、このような根本的な品質問題は後付けの対策では改善できないことがある。
情けないことであるが、パッチを当て続けるよりも設計・開発手法・製造委託先を変えて最初から作り直すことが最良の対策であることは、ままある。
これは諦めよう。
次にルーターのダンマリ。
これは一般的には(殆どのはず)、ルーターの電源を抜いて、ゆっくりと10を数えたあとコンセントにもう1回差し込めば回復するはず。
IT機器の取り扱いとしては乱暴に感じるかもしれないが遠慮はいらない。せいぜい、この程度の製品なのだ。この程度のモノには、もっとも確実で相応しい対応法だ。
しかし、ルーターがCISCO製の場合、これでは回復しないケースがたまにある(まれかもしれない)。
この場合は、ルーターの背中に恐らくリセット/リブート用のボタンか、小さなピンで押す穴があるので、これを押す。
この操作は、正しくはリセットではなく「初期化」だ。取扱説明書には「工場出荷時の設定に戻す」と説明されている。
この操作はCISCO製品の特徴でもあるが、処理内容はフラッシュメモリの内容をクリアしてROMから初期状態のシステム情報を読み出しオーバーライトするというものだ。
フラッシュメモリ上のシステム領域のデータは電源を落としてもクリアはされない。手動で強制的に消去する必要がある。
何でそんな現象に陥るかは色々な理由が考えられるが、それを考え対策するのは専門家の領域なので私たち一般ピープルは黙って、とにかくリセットを「押す」。
理由・理屈はいらない。
最後にシステムが重たくなりリモコンボタンすら受け付けなくなる現象。
我が家のJ:comはこの数週間この状態でぐずっていた。
対策は見つけてしまえば簡単。
チューナーを「リブートする」
何だか、リブートの話ばかりであるが、要するにこのサービスは「使えない技術」でできているのだ。だから仕方がない。リブートすべし。遠慮はいらない。バシバシやるべし。
こんな操作(リブート)ごときで、チューナーやルーターがイカレるようであれば遠慮なく交換してもらおう。
修理よりも交換の方が早い。
上記操作により、昨夜から我が家のJ:com Smartは復活した。
上記の現象、リモコンがいかれていてる場合もあるようだ。
リブートしてもダメなら、リモコンの電池を出し入れしてみる。これは、パワーオン・リセットと同じ操作になる。
リモコン・ボタンを押しても、電源ボタンのインジケーター(赤)が点灯していない場合は、リモコンがハングアップしている可能性がある。
このリモコン、電池も著しく消耗するし、一晩放置しているだけで動作しなく時ことが度々ある。
やれやれ、何とも…
J:com Stupid である。
妻は、もののけ…
突然の訃報だった。
彼女は一人っ子。
父親の死去に際し、様々な身辺整理が迫ることは必然と言える。彼女は「しばらく実家に帰る」と言った。しかし、「落ち着いたら、また横浜に戻る」とも言った。
私はただ、「うん」とだけ言う。
彼女の実家は東北。
私は当時、東北地方には行ったことがなく、ただ遠く寒い場所だ、というチープな認識しかなかった。
私は、ただ、彼女が突然の悲しい出来事で必然的に横浜を離れ遠い故郷に帰って行く、と認識するしかなかった。その日は彼女の部屋に泊まった。
彼女の体は冷たかった…
翌日の昼頃には引越しの業者が来る手筈だった。
私は名残惜しみがないよう、朝の早い時間に、玄関で彼女に別れの言葉を言った。
その時、何故か、どこからか来た子猫が彼女の足元にいた。
どこからか現れて、彼女の足元に寄り添っていた。
まさに、迷い猫。
彼女は、その猫をそっと抱き上げた。そして、頬ずりをした。
「どうするの?その猫…」
「しばらく、一緒にいる。連れてはいけないど…」
私はその場を後にした。
猫と彼女が私を見送っていたシーンは今でも覚えている。
彼女は半年後、横浜に戻って来た。
その後、私は彼女と結婚した。
・・・
現在。
彼女のそばには何故かいつも猫がいる。
彼女は時々猫に話しかけている。
私は、ある時、彼女が猫に話しかけ、その結果、猫が後ずさりし、彼女がその手を掴んで何か話している場面を見たことがある。
猫が後ずさりし、その手を人間が掴むシーンを想像してみてほしい。かなり珍しく、シュールなものだ。
私には、彼女が実は猫と対話できるように見える。
今でもそうであるが、我が家には迷い猫がよく来る。その度に彼女は「猫助け(人助けと同じ)」と言って引き取って世話をしている。おかげで、我が家は一時的に猫だらけになる時があった。
何故、猫達が我が家を目指すのかは知らない。わからない。
彼女が何匹かの猫を前に何か話しかけているのを見かけたことがある。
彼女の前では、猫達は従順だ。
あの勝手気ままな猫達が何故、かくも彼女の前では言うことを守っているのだろうか?
私は、いつからか彼女は「猫の女王」(マザー or クィーン)なのではないか、あるいはそれにまつわる何かを有している特別な力を持った人、もののけなのではないか、と妄想し始めている。
不思議なことがある。
彼女は、真冬でもTシャツ一枚でいることがしばしばだ(独身時代からそうだ)。
「寒くないの?」
「平気…」
いくら、体に肉厚があるといっても、その格好はないだろ!とこちらが心配するほどであるが、本人はいたって平気。真冬でも、超薄着である。
一方、5月あたりからリビングのエアコンは全稼働させている。彼女以外の者にとって、はっきり言って寒い。
食事のためリビングに集まると家族全員が「寒い!」と言っている。
ただ、本人は「これでいいの」で押し通している。結婚以来、ずっとだ。
しかし、どう考えても明らかに寒い。彼女以外は皆そう証言している。何故、あのように寒気を好むのか?
低温を極端に好む。一方、暑い日彼女は死んでいる。
動植物と会話しているように見えることがよくある。
迷い猫(犬だって来たことある)がよく来る。
体が冷たい。
怒ったら引っ掻く(ニャ〜とは言わないが)。
ツンデレである。
私はもののけと結婚したのだろうか?
あえて例えるならば、彼女は「雪女」。
Windowsの自爆
WannaCry騒動を受け、日頃操作することの少ないAcer PCのWindows UpDate状況を確認しようと電源を入れた。
すると、OSは立ち上がるのであるが、IEが動作しない。「ネットに接続できません」とのメッセージが表示されてそれ以上操作不能。
コントロールパネルのWindows UpDateを開くと、「更新プログラムのダウンロードに失敗しました」となっている。
更新プログラムは、KB4019472
更新日は3日前となっている。
どうやら、自動的にダウンロードし更新プログラムを走らせたが、それが正常に終了せず、IEがハングアップ(ロック)状態になっているらしい。
仕方がないので、手動でWindows UpDateをかける。
それから待つこと3時間あまり。
そして、「更新プログラムのダウンロードに失敗しました」との表示。
失敗も腹が立つが、何で3時間?
リトライの度に数時間も要するのではたまらない。また、失敗の理由も全く不明だ。
・・・
こりゃ、新しい更新プログラムが配布されるまで放っておくしかないか。しかし、あと何週間、何ヵ月待てば良いのか…
勝手にDLして、勝手にRUNして失敗して、自分でロックをかけてフリーズ。そして何にも説明なし(システムメッセージなし)。
よくもまあ、こんなOSをリリースするものだ。
マイクロソフトには、製造者責任という概念がないらしい。
勝手に、私のAcer PCをスクラップにしてくださった。
・・・
腹が立って仕方がないので、もう少しあがいてみることにした。
ネットでググる。「KB4019472 失敗」と入力すると幾つかの事案にヒットした。
それらの状況を要約すると、
・KB4019472は更新にえらい時間がかかる(数時間は当たり前。我慢しろ)
・更新に失敗する例は相当数報告されている(同じ被害者が多い)
・MSは本更新プログラムに不良はないとの認識にある(この会社が自らの非を認めることはない)
・更新プログラムを適用しない訳には行かない(いずれCryすることになる)
・対処方法は、①次のパッチ提供まで待つ、②失敗覚悟で更新環境を修復する
ということで②を選択。
さらにKB4019472関連で調べていると、Windows UpDateの「修復モード」を使って見よ、との指摘があった。
これは、上の画面でボタンをクリックするだけなので至って簡易。
やってみた。そして、更新。
・・・数時間後、現象は変わらず「更新プログラムのダウンロードに失敗しました」の表示。
さらに調べてみると
「dism /online /cleanup-image /restorehealth」を試して見よ、との助言がある。
早速、コマンド投入しようとしたが「検索」窓がいつのまにか無くなっている(Windowa10は、いつのまにかコルタナになっていた)。DOSプロンプトも見つからない。
DOSは何処いった?
これは管理ツールの中に入っていた。
dism /online /cleanup-image /restorehealthと投入。
「このコマンドは管理者権限で入力してください」との表示。
「?」
いつから、MS-DOSにadministrator権限ができたのだ?
また、ググる。
そうすると、
(windows)+X → "A" → (ALT)+"Y"
で、管理者権限になるとの助言があった。
そして、ようやく「dism /online /cleanup-image /restorehealth」を投入。
そして、また小一時間待つ。
・・・
「再構成に失敗しました」とのDOSメッセージが出力された。
ここでめげずに、更新プログラムの再アップロード、そして実行。
結果として、幾つかの更新プログラムはDL出来なかったようであるが、IEは復活した。
現在、ネット接続もできている。
更新パッチは不完全であるが、当面はこれで使用することにした。
今回のWndowsトラブルの一部始終である。
素朴な疑問であるが、一般ユーザである私は何故このような意味不明の儀式をせねばならないのであろうか?
何が管理者権限だ。こんなこと、フツーのユーザーが理解できるのか?
ネット上の助言がなければ、どうしていたというのだ?
いっておくが、OSは私が何の操作もしていないのに勝手に不具合を起こしたのだ。
これは、Windowsの自爆だと思っている。
私は、もう金輪際、Windowsマシンは買わない。
大金を出してまで買うような代物ではない。
セキュリティ品質の絶望的な悪さについては、今回のWannaCry騒動がトドメを刺したと思う。
あれはセキュリティ"ホール"などではない。穴ではなく、パックリと空間が空いているのだ。
ドアに鍵がかかっていないのではなく、ドアがないのだ。
こんなOS使ってたまるものか。バカバカしい。
Macで行く。
※追伸
3日経ったら自動アップデートしてまた動かなくなった。茶番だ…
Responsibility → Mission
最近、電車線路への人立ち入りが少なからず話題になっている。
その理由の多くは、「痴漢をして逃走」というものらしい。
痴漢をしたかの真偽は別としても、あの様な場所に容易に人が立ち入ってしまうことに驚いている。
一体、何を考えて線路を走るのか…
今年に入って、立て続けに同様の事案が発生したものだから、「そこを使えば逃げられる」と判断し模倣するものが続出しているのだ、とどなたかが言っていた。
…何とも、アホなことで。
どの様な頭脳構造しているのか理解不能であるが、あちこちに迷惑がかかることこの上ないので、何とか防止したい(この際、当人の安全はどうでも良い)。
そこで、提案を2点。
①線路を逃げても必ず捕まる、ということを単細胞の輩にも分からせるため、路線一帯を防犯カメラだらけにする。
②各駅へのホームドア設置。簡単には誰も線路へは立ち入れない様にする。
①はすでに、成果を挙げたいくつかの事例がある。「線路を逃げても無駄」ということを目で見てわかる様にする。馬鹿馬鹿しいことであるが、バカを相手にするのだからバカな施策も止むを得ない。
世の中には本当に理解不能な行動をとる人がいるもんだ。
②は防犯、安全の双方の面で意義がある。
今の駅のホームは危険すぎる。
好き好んで線路に侵入する人はいないであろうが、朝夕のラッシュ時は不可抗力で転落することは十分にあり得る。
特に、昨今の首都圏の駅の混雑は異常だ。
安全面の取り組みとして各鉄道事業者に強く求めたいと思う。
これは、「模倣防止」という面では、転落、侵入だけではなく、「自死装置」として鉄道を捉えている不特定の人たちへの警鐘でもある。
諸外国のことは知らないが、この国には電車を「乗り物」ではなく、消滅手段として利用しようとする人たちが後を絶たない。
理由は分からない。
しかし、止められるものであれば、止めるべきだと思う。
よって、容易に線路に近づけない様、全駅にホームドアを即刻設置すべきだと思う。
コストの問題は当然存在するが、鉄道事業にとって「安全に人を運ぶこと」は社会的責任を超え、もはや「使命」であると考える。
自分たちの商売道具を他の目的に使用させないための処置を事業者として施すべきだ。
どの事業者も一定の事業利益を上げているはずだ。
駅の中に店舗ばかりを設置するのではなく、人を守る盾にも事業投資してほしい。
それは、もはや社会的使命なのだ。残念ながら…
技術は流動する
1985年9月、USAニューヨークで行われた先進国中央銀行総裁会議(G5)において政策的ドル安誘導が確認された。この決定は後に会議開催場所にちなみ「プラザ合意」と呼ばれることになった。
ドル安は、日本においては必然的に「円高」を意味する。当時230円程度であった円レートは、88年後半には120円にまで上昇した。
日本の製造業に激震が走る。
輸入する原材料は安価になったが、それでモノを作っても輸出できなくなった。いや、できるが利益を生まなかった。
作れば作るほど「損失」を創造した。
この時期、国内電機産業は半導体製造が絶好調だった。
東芝、日立、日本電気、富士通の各社は、各々の工場に最新鋭、先端技術を備えた半導体製造ラインを有して全世界に輸出していた。その生産量、シェアはUSAメーカーを凌ぎつつあった。
当時、某メーカーの経営幹部は円レートが1円上昇すると、30億円の利益が吹っ飛ぶと発言している。当然、230円→120円/ドルの変化は企業の収益構造に大きなインパクトを与えた。
かくして、電機大手は揃って巨大損失を計上することになる。後日、彼らはこの劇的経済変動を「半導体不況」と呼んだ。
輸出を収益源としていた国内製造業、中小企業の多くが不況に喘いだ。多くの企業倒産が発生した(1986年の企業倒産数は17,476件)。
エコノミスト、評論家、マスコミ、経営団体は、こぞって囃し立てた。
「もはや国内に製造業を保持する意味はない」
「国際競争力保持のため製造業の海外シフトは必然」
「国内の高コスト体質を抜本的に改めない限り製造業は生き残れない」
ちなみに、日本の労働者賃金が「高コスト」になったのは円高による相対的な現象であり、生活者の消費力が上昇したことが理由ではない。
労働者たちは、自分たちの生活が楽になったわけでもないのに、いきなり「高コスト」と言われて憤慨した。しかし、経営者は彼らの賃金(生活費)を「固定費」と呼んで、その抜本的削減を志向していた。
日本の経営者たちは、「CHINA」に目を向けた。
当時の単純比較において中国労働者の賃金水準は日本の1/7と言われていた。
製造ライン、生産拠点の多くが中国に移転した。やがて中国は「世界の工場」と呼ばれるようになった。
この円高不況を契機に、事業構造の「再構築」の名目のもと、多くの生産拠点統合・廃止、移転が行われるようになった。
再構築は本来、re-structure の意味であったがマスコミは「リストラ」という軽薄な和製英語を用いて報道した。
軽薄の論拠。
NHKはリストラの説明として「関連会社に転出すること」と解説した。
巷の酒場では、親父たちは「気の弱いリスのような社員をトラのような怖い上司が首を切る」と揶揄した。
ドラマでは閑職に追いやられることを「リストラ」と表現した。
そこに本来意味の ”structure” 、事業構造の変革との崇高な理念は片鱗もない。
その後、リストラという用語は日本語として異なった意味で定着し、市民権を得る。
この時の、これ以降の海外シフトの潮流は、製造装置だけではなく多くの技術者の雇用を奪い、また匠の技術の流出、喪失を招いた。現在の中国・韓国の産業発展の背景には、日本の製造業、経営者が行った”リストラ”と、その受け皿としての継続的企業努力の歴史がある。
最近、三菱重工が大型客船の造船事業において、巨額の損失を計上したとの報道がなされたが、あれは日本の製造業から「(客船の)造船技術」が喪失されつつある事実の一端を示している。
すでにこの頃から、日本の技術は人・モノとともに「流動化」している、ということだ。
中国、韓国の台頭には理由が存在する。日本の経営者、政治家はそのことを知っている筈だ。
・・・
そして東芝…
見るも無残な状況だ。
タコが空腹を理由に自らの足を食しているように見える。
事業売却の結果、コアとなる技術が何も残らない可能性が見通されている。
半導体事業売却の入札に国内企業が参画していないことから、経団連、経済産業省は「技術流出」を危惧し、産業革新機構を巻き込んだ資本投入を目論んでいるとの報道がなされている。
アホらしい。
今更、何が「技術流出」だ。
製造業の技術力を軽んじ、リストラに励んだのはどこの誰だ?
この国においては、匠の精神は経営者から既に切り捨てられている。
金 >> 匠、なのだ。
金が欲しいのなら、技術ごと売るしかない。で、なければ一体、どこの誰が1兆円も出すというのだ。
「技術」はとっくの昔に流動化している。
企業努力
随分前のことであるが、初めてハワイに行った折、小型でシャレたスポーツカーが走っているのを見かけた。
オープンではない。クーぺタイプだ。大きさは4mくらいか・・・。アメ車にしては極めて小さい。2シーターの様だった。
「何だろう?あの車。見たことない・・・」
その後、スーパーの駐車場でその車が停めてあるのを見た。気になっていたので、側に寄ってじっくりと確認した。
何と、この車、ミッドシップだった。これにはたまげた。
エンブレムを見ると ”Pontiac Fiero” と打ってある。
「ポンティアックがこんな洒落た車作ってるんだ」
驚きは感心に変わった。
「これ、いいなぁ」心底思った。
当時、ミッドシップスポーツカーに乗ろうと思ったら、恐らくフェラーリかランボルギーニしかなかった。ロータスだって、アストンマーチンだって、アルファロメオだって、皆んなFRだ。ポルシェはRR。HONDA Beatはこの頃、まだ無い・・・。小型のミッドシップスポーツ。まだ、未開拓のセグメントだった・・・。
それから1年後、妻とグアム島に旅行に行くことになった。
グアムに行ったらレンタカーを借りることにしていた。
車種は私に任されていた。私は妻に言った。
「滅多に乗れない車にしようよ。スポーツカーにしない?」
「いいよ。何にするの?アメ車でしょ?大っきいヤツ?」
妻は恐らくトランザムのようなスポーツカーをイメージしていたと思う。
「?」
「フィエロ。去年、ハワイで見た小さいスポーツカーだよ。」
「ああ、あれね。いいよ。」
そして、グアムに到着すると早速レンターカーを手配した。しかし・・・。
残念ながら、フィエロは空きがなく借りることが叶わなかった。代わりに差し出されたのが "ターセル"。
「・・・」
私は絶句した。
ターセルは、分かりやすく言うと「カローラⅡ」だ。その当時、私はサニーのハッチバック(305Re)に乗っていた。
これはシャレにならん。
外国で滅多に乗れない車に乗ろうとしたら、いつもと同じ車を差し出された、と言うことだ。それも、よりによって日本車。USAで。
ま、しかし、文句を言っても始まらない。私達はターセルでグアム島のドライブを楽しんだ。
「フィエロ、日本でも売っていればいいのにね。」
妻は私を慰めてくれた。
その数年後、TOYOTAは新型MR-2の海外販売を開始する。
MR-2はUSAにも輸出された。そして、あっという間にフィエロの持っていた市場を席巻した。数年後、一部のファンに惜しまれながらフィエロはその生涯を閉じる。ポンティアックに後継車は未だ存在しない。
私は今でもフィエロは好きだ。
アメ車には興味がない。全く知らない訳ではない。しかし、好きではないので興味もない。極めてシンプルな理由で私はアメ車には見向きもしない。
これまでアメ車で興味を持ったのはJeep Cherokeeくらいだ。これは買ってもいいと真剣に考えていた。当時の私の中での競合はランドクルーザー・プラド。
しかし、結局買ったのはカリブ(Carib)だった。
新しいUSAのプレジデントは「日本はUSAで日本車を乱売しているのに、アメ車は差別されているため日本では全く売れていない。アンフェアだ!」と意味不明のことを言っている。
この人、本当にアホなんだと思う。
いや、失礼した。
この人に言いたい。
「フィエロを復活させて日本で売って下さい!」
約束する。その時、私はフィエロを買う。
私が欲しいのはリンカーンではない。ファイアーバードでもない。マスタングはブスなので嫌いだ。コルベットも全部嫌い。クライスラーって今、何を作っているんだ?
USAの自動車メーカーは、皆私の好みの車を作ってくれていない。
外車が嫌いなのではない。現に、今はドイツの小型車に乗っている。
USAの車が日本で全く売れないのは規制のせいなんかではない。
趣味の悪いものを売ろうとしているからだ。
USAのプレジデント、日本人にUSAの車を買わせる手段を教えてあげる。
「俺たちの好みの車を作れ」
これを日本では企業努力と言う。
倫理なき社会
北川景子さんで始まり、平愛梨ちゃんで終わる1年であった。長友、お幸せに。
今年の漢字は「金」だそうな。。
かね・・・?
センスねぇなぁ。かねかよ。
自分としては「倫」を挙げたい。倫理の「倫」。不倫の「倫」。
やたらと芸能人の不倫報道が多かったような気もする1年であるが、別に彼らだけの倫理観、貞操が乱れていた訳ではないだろう。
私たち一般ピーポーの道徳も似たようなものだ。
私の周りにも不倫者はいる。別に探さなくとも、周りは気づいているし知っている。教えてくれる。
流行っている、ではなくて以前からそのようなものだと思っている。今になって始まったことではない。
しかし、当事者たちは調子をこいているだけではなく、常に自分とは別の人格に見られていることを忘れてはいけない。人の不快を誘う行為は、やがては露見するものだ。
そして、SNSが斯様に発展した現代、破廉恥、醜聞ネタは瞬く間にネットで拡散する。いつか、痛い目に遭うことだろう。
世間は不倫に厳しすぎるというようなことを言っている知識人もいるようだが、別に厳しいわけではないと思っている。
多くの人は「関係ねーし」と思っている。
ベッキーへのバッシングを見て、そのように芸能界は感じているのだろうが、別にネット民は、ベッキーの倫理観を叩いたのではないだろう。
LINEを使って、余りにふざけすぎた会話をしたものだから、それに呆れ果てた感想を各々が書き込んだだけだ。
私たちに、彼女を批判する/できる高邁な倫理観・人生観は備わっていない。彼女が何をしようと、実は私たちは何〜も気にはしていない。
そんなことよりも倫理で言えば、もっと気になることはある。
今年もいじめが原因と推測される自殺が相次いだ。
福島から避難してきた子供たちに差別的な対応をした同級生、学校関係者もいたそうだ。
この手の話は、今年始まったことではない。ずっと昔からある。私が子供の頃はもっと直接的だったが。
当事者、関係者の努力にもかかわらず、この問題は根絶されていない。脈々と世代を超えて受け継がれている。
別に誰かが重要な文化遺産として継承教育してる訳ではないだろう。
なのに、「いじめ」は無くならない。
何故か?
楽しいからか?
恐らくそうなのだろう。
ドーパミンが分泌されない限り、こんなくだらないことを人が粘りづよく継続出来る訳がない。
軍隊でもいじめはあったという。
恐らく、100年以上継承されている伝統的行為なのだ。
そして、今や「いじめ」は、我々日本民族のDNAとなりつつある。
誰も意識せずとも、老若男女、世代・年齢・職業・文化を超えて日本の組織の中に脈々と受け継がれているのだ。
恐ろしい。
気持ち悪い。
電通の新入社員の女性が亡くなって1年が経つそうだ。
電通も今回ばかりは少しは反省しているように見える。
しかし、人を死に追いやる社風は簡単には変えられないだろう。
根底には、人を人とも思わない文化があるからだ。
昭和を象徴する団塊世代はあの会社にも、もういないはず。定年退職しているはずだ。
このような事件をいかにも起こしそうなモーレツ社員、妖怪ジジイたちは既に会社には存在しない筈。
なのにこのような事件が起きるのは何故だ?
DNAを受け継いでいるものが若者の中にもいるからだ。
仕事ができない新人はいじめても良い(公用語では厳しく指導、と言う)という社風、伝統を頑なに守っている輩が存在するのだ。
恐らく、継続性の理由、個人的動機は「自分もやられたから、他人にもやってやる」という原始人のような思考だ。
それが、どのような不幸な事態を産もうが本人は一向に構わない。反省などしない。「俺は仕事には厳しい」と嘯くだけだ。
そして会社組織は当事者には懲戒も与えない。罰せられない。
「伝統」の一言で片付けられるのだ。
あの会社で過労死が起きたのは今回が初めてではない。以前から、繰り返されているのだ。
恐らく、100時間超の労働時間だけが、死の直接的な原因ではない。
「お前の仕事は最低だ」
「お前の残業は無駄な時間の浪費だ」
このような人格を無視した発言で彼女を追い込み続けたことが真の原因だ。
彼女の心を折った上司、プライドを破壊した先輩が存在する筈だ。
経験者ならわかる。
辛いのは長い労働時間ではない。人は、やりがいのある仕事なら何日だって徹夜できる。
しかし、やっても認めてもらえない仕事、やり続けても無意味な仕事は”辛い”。
会社自体に行きたくなくなる。しかし、それは責任放棄になるためできない。
上司が言ったであろう「お前の存在は無駄だ」を証明することになる。
だから、無理をしてでも出社する。罵倒されるために。
そして、そんなことをいつまでも続けていられる人間などいない。
それに耐えられるのは神経が鈍感で無神経で自分勝手な信条を持つ人間だけだ。
そして、そのような人間は自分の価値観だけが正しいと思っており、それを他人に平気で強要する。
恐らくあの会社は、そういう人間の坩堝なのだ。
あの会社がどうなろうが、どうでもいい。関係ないもの。
しかし、日本全体がそのような方向性(DNA)を持っているのであれば、それは困る。
私の娘の旦那(婿どの)が一昨年転職した。
その際、聞いた話であるが、前の会社の上司がなかなか辞めさせてくれなくて、大層苦労したそうだ。
「今、辞められたら困る。」
「途中で仕事を放り出されたら迷惑だ。」
「今の仕事が片付いたら辞めさせてやる。」
ネットで聞いたことはあったが、本当にこんなことをいう輩がいるんだ?!
これを言った彼の上司って、一体どういう人間なのだろうか。
これまで、どういう環境で育ってきたのだろうか。これまで、どのような社会人生活を送ってきたのだろうか。
謎は解けていない。
婿どのは、最終的には労働組合に相談して無事退職が叶ったそうだ。
労働組合は、そもそもは「雇用を守る」ための組織だ。
会社を辞めるために支援を求める組織ではない。
会社とそこにいる社員(上司)がおかしな思想の持ち主であることがよく理解できるエピソードだ。婿どのはそこを辞めて正解だった。
会社を辞めたい社員は、一般には会社に何らかの不満があって、その解決が就業を通じては不可能であるとの思いに至った時、「退職」という行動に出る。つまり、会社に愛想が尽きているわけだ。
よって、上司は本来、部下が退職を申し出た際、彼にとって「何が不満であったか」を理解し、その解決に努力を注ぐことが本筋の筈だ。
「辞めたい」と言われること自体が管理職にとって「恥」と思うべきであり、自らの監督責任の至らなさを悔いるべきなのだ。
それを「今辞めるのは無責任だ。辞めさせない。」とはどういう了見だ?
それが今時の中間層の常識だというならば、やはりこの国は腐っている。既に死んでいると言える。
わざわざ「日本、死ね」と言うまでもない。
因みに日本国憲法では「職業選択の自由」が謳われている。この上司は学校に行っていないのか?
憲法違反だぞ。
変な世の中だ。
倫理なき社会に次代の展望など描けない。
年末に、つまらねぇ事件を見てしまった。
不倫は構わないが、仕事で人を殺すようなことはするな。
俺たちおっさんは、君たちにそのような倫理観は求めていない。
もっと、自由に生きろ。
この国は君たちのものだ。
誤ったイノベーション
Windows10がいけない。
まだ、8.1の方がマシだった。
UIが変わってしまって、私からすれば操作性が悪くなった。どこに何のアプリがあって、どうすればしたいことができるのか、さっぱり分からない。
そもそも、IEの「お気に入り」はどこに行ったのだ。
Siriではなく、コマンド実行用の窓はどこにあるのだ。
・・・・
このマシン(Acer V5)はしばらく触っていなかった。
業務用途を除けば、世の中の人たちのPCの使い道の大半はインターネットコミュニケーターであろう。私の妻もその通りで、普段はiphoneを使ってメール、LINEをやっている。
妻がPCを使うのは、Amazonでの買い物だ。他のことは全てiphoneでできるのでPCは使わない。
そのため、相当の期間、PCを立ち上げていなかったようだ。
用があって、私は久しぶりに、PCを預かって電源を立ち上げてみたのだが、これがいけない。
更新プログラムのダウンロード、インストールの繰り返しで、マシンがまともに走っていることがない。ほとんどの時間が更新プログラムの動作に支配されている感じだ。
電源を立ち上げれば、いつの間にかローディング…、落とそうとしても勝手にインストールで何十分間もマシンを占有。いつまで経っても電源は落ちない。
アプリがなかなか立ち上がらない。立ち上がっても…遅い。バックグラウンドで、ず〜っと何かが走っている。重い。凄まじく重い。
放っておいたら、いつの間にかブルースクリーンになっている。
「修復をしています(XX%完了)」
この状態で、数十分間占有状態が何度も続く。
この2週間ほどで、Windows10がまともに動いている時間は、マシンが立ち上がっている時間の半分もない感じだ。
大げさに言っているのではなく、バックグラウンドジョブを意識させられている時間を含めれば、本当にそうなのだ。
こんなマシン、使えない。
いや、ハードが不良なのではなく、搭載されているOSがPCを使用不能にしているのだ。意味不明。
・・・
日常の用途は、Macで十分だ。
私のMac Book Proは、Mid2010であるが、Sierraは何でもなく動作している。結構、古いマシンであるが最新OSの動作に何の支障もない。
それに対して、Windows10のこの体たらくは何なのだ。
動かないコンピュータ、アプリを動かせないオペレーティングシステム(OS)を開発しているマイクロソフトという会社は一体何者なのだろう?
当たり前のことであるが、OSはアプリを動作させるためのプラットフォームだ。目的はコンピュータを使って何らかの仕事をすることで、OSを動かすことが目的ではない。
OSがコンピュータを占有するなんて、本末転倒。何をやっているのか、さっぱり分からない。
OSが本来の仕事をそっちのけで、更新プログラムをローディングし続けないといけないことが止むを得ない現実であるというのであれば、それは設計が実用に耐えないのであって、商品として成り立っていないということだ。
マイクロソフトがMS-DOSを世に出したのが1981年。それから、この会社はイノベーションを重ね続けた。
この会社が開発したOSがPCを単なる文房具にした。この功績は偉大だ。歴史に残る偉業と言える。
しかし、この会社はOSというものを公共財ではなく ”商品” としてしまった。
そして商品だから、売るためのVerUPを繰り返した。本来、不要であったとしても、だ。
イノベーションが本来の目的ではなく、売るための ”改変” である(勿論、中には必要なイノベーションもある)。
そして、今やこの会社の売っているOSは、継続的にセキュリティ・パッチを当てないと正常な動作を保証できないクズ技術で出来てしまっている。
Windows10は、間違ったイノベーションで出来ている。
本来不要な機能、実装技術が、発揮されるべき性能をスポイルしている。
残念至極。
今一度、Unixを触ってみてほしい。
本来のOSとはこのようなもののはずだ。
ケータイやタブレットでインターネットコミュニケーションは十分にできる。
で、あればPCに求められる機能とは何なのか?
ゴテゴテした映像・動画表示機能ではない。
”仕事” を成し遂げるための環境を提供することだ。
今のWindowsは、評価する価値がないゴミクズだ。
大山の価値
ここ10数年間、この時期には仕事で外出していた妻が、今年は珍しく家にいる。
彼女は季節労働者だ。ある時期になると、パッと家からいなくなる。
彼女はこれまで、今の時期にゆっくりすることが無かった関係上、今年はやたらと外出したがる。
袋田や鎌倉の話が最近続くのはこうした理由による。
そして、昨日(11月23日)は大山に行ってきた。
友人から話を聞いて、一度行って見たかったとの事。この時期は紅葉鑑賞も目的の一つだ。
朝、7時前に車で出発。
大山に到着したのは7時40分頃。第2駐車場は既に満車との事で、第1駐車場にエスコートされた。さすがにこの時期、駐車場が埋まるのが早い。
早く家を出てきて正解であったが、実はケーブルカー始発が9時なので、あまり早く来過ぎても駅で待つことになる。この辺りの時間調整が難しい。
とにかく、車で大山に行く限りは「駐車場確保」が第一優先事項。
無事、車を駐車場に入れたのでケーブルカー駅まで徒歩。
のっけから、坂道を歩くことになった。
妻は、
「ゲッ!いきなり坂道…」
と驚く。
ケーブルカー駅に着いたのが8時頃。
駅員さんに聞くと「本日は臨時列車を走らせます。8時30分が始発です」との事。
いつもより、30分早く出発させるとの事だった。また、この日は、通常20分毎の運転間隔を8分に変更していた。つまり、シャトル便(ピストン)で運行していた。
阿夫利神社から登山開始したのは8時50分頃。
山頂に到着したのは11時過ぎ。
この時期であり、それも天気予報では23日は寒くなると言われていたので、私は相当に厚着をしていた。
ヒートテック+長袖Tシャツ+厚着シャツ+ウィンドブレーカーの重装備だ。足にもヒートテックを着用している。
しかし、途中でTシャツは脱いだ。
ニットの帽子も脱いだ。
やがて、ウィンドブレーカーも脱いだ。
腕をまくって半袖にした。
登りの坂ではやはり汗が噴き出す。寒さよりも暑さが勝った。
しかし、20丁目近くになると、休憩していても寒さが身にしみるようになる。
そして、山頂。
持って来たおにぎりを食べながら休憩。
妻はお店で「豚汁」と缶ビールを買って来て ”プハァ〜” をやっている。
この間、山頂はやはり寒かった。手が悴んでいたので、やはり氷点下だったのだと思う。
山頂で、ウィンドブレーカーを着用ししっかりと身支度を整えた。
40分ほど休憩して、見晴台方面から下山を開始した。
2時間と少しで阿夫利神社に戻った。
その間、何度か市街地から海までを見晴らすことができた。
まさに絶景。
↑ 「見晴台」よりかなり山頂に近い場所から撮影。
遠くに見えるのは「スカイツリー」ではないか?
ここまで登ってくる途中に、富士見台で雲海のようなものが見えたが、こちらからのルートでは、県下全域を見渡すことができる。
右手を見ると真鶴半島、左手を見ると東京まで見える。
大山が地元の人たちから愛される理由が分かったような気がする。ここからは、神奈川県の全部が見えるのだ。
江ノ島、湘南平。県中央を横切る東名高速。それにクロスする相模川。
私たちの住む地域、土地がパノラマのようになっている。
神奈川県の全てがここから見えるということは、つまり大山は県下のどこからでも常に見えている、ということだ。意識したことはないが、車窓から高い山が見えれば、それが ”大山” なのだ。
いつも私たちを天上から見守ってくれている。
何とありがたいことであろうか。
阿夫利神社で手を合わせ、そんなことを考えていた。
そういえば、妻は「雨女」の呪縛から逃れられるよう阿夫利(雨降り)神社にお願いしたとの事。そんなご利益もあるのか?
大山に車で行く場合は、駐車場確保が第一と言ったが、近隣に臨時駐車場が多く設けられているようだ。
帰路、幾つかの臨時駐車場を確認することができた。大山小学校が臨時駐車場になっている、との看板は確かに確認した。無料で、シャトルバスらしきものが走っているようだ(詳細は不明)。
駅近くの販売店や民家が有料駐車場を設けていることも多々あり、あちこち探すと意外と止める場所はあるのかもしれない。見かけた看板の多くは「駐車料1000円」としていた。
あと、第2駐車場のすぐ手前の民間駐車場(パーク24みたいなやつ)は、何故か、行く時も帰る時も「空き」があった。料金は1000円。何でみんなここに止めないのだろうか…。
因みに、私達がエスコートされた第1駐車場は料金600円であるが、第2駐車場までは登り坂で650m離れている。
大山は「豆腐料理」が有名であるが、豆腐店は第2駐車場のそばに少なくとも2軒ある。作りたての豆腐を調達するならここだ。
私達が帰る時も、第2駐車には車の待ち行列ができていた。
さて、どこに車を止めるのが正解だろうか…