別に昭和に戻りたいとは思わない
今日も良い天気だ。
新緑の季節であり、気分爽快。「みどりの日」とは良いネーミングだ、と思っていたのであるが、何時からか4月29日は「昭和の日」となっていた。そうか、昭和天皇の誕生日だからか。忘れていた・・・。右寄りの方々には失礼しました。
新宿では、その手の人達で大騒ぎになっているらしい。頑張れ警察。
昨日の「主権回復式典」(?)において、こともあろうか、”天皇陛下万歳!”と叫んだアホがいたとか。
一体、どういう神経してるんだろう?
それでなくとも、ご近所とはデリケートな状況が続いているのに、かの「戦争」を最も強く連想させかねないセリフを宣うとは、呆れ果ててグウの音も出ない。
お隣さんのヒステリックな反応にもウンザリしているが、それを敢えて煽るような言動をする関係者がいるのだから情けなさを振り切って、腹が立ってきた。
しかし、過去に国家間に拭いきれない歴史が存在することは事実であるが、他国の一挙手一投足を捉え、それに逐一反応し、国・メディアがスクラムを組んでブーブー文句を言ってくるあの態度は頂けない。
明らかな内政干渉レベルだ。
誰が何処に行こうが、何を食べようが、あるいは神社に参拝しようが、大きなお世話・・・
あの大国を自称する人達の度を超えた挑発もいい加減ウンザリだ。
今の首相は、色々不安を感じる点もあるが、現状、取り敢えずは及第点をあげられるだろう。
そして、彼が”右”を向いていることは事実。前からのご本人の信条であるから無理からぬことでもある。それを承知で選んだリーダーだ。
しかし、それを前提とするのであれば、近隣との和解、友邦としてのお付き合いは、10年20年のレンジでは実現しないだろう。
前も言及したが、相手は100年レンジで物事を捉えているかも知れない。
彼らは自国内に実質的な”人質”をとっている。
そして、明確な”武力”を持っている。”脅し”のレベルが半端ではない。
我が国も自衛力は保有しているが、残念ながらこの”武器”は実際には「使えない」。日本国は、日本人は、武器を持っていても実際には「使えない」のだ。
これは、法的、政治的、道義的、人道的、精神的な見地、全ての面から「ダメ」なのだ。
そして、そのことを”相手”は知っている。
だから、毎日のように領海侵犯を堂々と行っている。戦闘機を何十機(40?)をもって領土に侵入し、威嚇行動をとっている。
あの行動は、国際的常識に照らし合わせれば、常軌を逸しているし、日本以外の国に対して同様のことを行うと、間違いなく武力衝突が起きている。
だが、「日本は撃てない。」
だから「何をしても大丈夫だし、さんざんコケにしてやればよいのだ」と明らかに高をくくっている。
そして、その判断は正しい。
日本は「武力による紛争解決を放棄」しているのだから。
精神的ストレスは一国民として感じている。
不愉快だ・・・
彼らは、あの国々は、”昭和”のある時期にあった戦争を現代においても自分達の行動の理由・原因・背景の基軸においている。
もはや、この両者間の心理的な絶対距離が縮むことは無いのかも知れない。
少なくとも、片方の国は豊臣秀吉の頃の話まで持ち出している。これ以上仲良くなるのは無理・・・、かも知れない。
で、あれば、それも仕方ない。と、思うようにする。
私は政治家ではないので、為政者として詫びを入れる、謝罪の念を表明するような立場にない。それをどのように解決していくのかは、その立場にある人達に委ねざるを得ない。
しかし、一国民として、あのような人達とこれ以上係わり合いを持ちたくない。個人的な謝罪も御免だ。
過去の歴史に一定の知識は持ち合わせていると自覚しているが、それにしても70年前の、自分が生まれる以前のことで、謝罪など御免被る。私はそんな高邁な人格は持ち合わせていない。
仲直りなんてムリ、という言うのであればそれでいい。
この鬱屈した気分は、両者の間であと何年続くのであろうか。50年?100年?500年?
他人を憎み続けるには、相応のエネルギーが必要だ。ご苦労なことだと思う。
”昭和の日”も結構であるが、とんでもない国家的・民族的贖罪を背負わされたものだ。
”昭和”は元気があった、良い時代だった、あの頃の日本人のスピリッツを取り戻そう!などとお気楽なことを言っている業界人もいる。
冗談じゃない。私は戻りたい、なんて絶対に思わない。
あの頃は、食べるものはあった。
しかし、皆貧しかった。欲しくても手に入らないものが一杯あった。我慢、我慢の連続であり、諦めはいつも当たり前だった。
社会は硬直的で、お役所仕事蔓延で、権威的で、不効率で、馬鹿な大人が一杯いて・・・
あんな時代の一体何に憧れているんだ?懐かしんでいるんだ?
今の日本の方が絶対にいいよ。
ただ、今日、”昭和”という時代にアジア地域に「何が起きたか」を考える意義と責任はあると思う。