空飛ぶハコ・・・
記録的な大雪と騒動から2日が経過しようとしているが、交通機関の遅れや、高速道の事故など、その間接的影響はまだ残っているようだ。
成田空港は陸の孤島化し、利用した人達は大変な災難にあったようだ。私も新千歳空港での喧噪と混乱を見ているので、ニュースを見ていて人ごととは思えなかった。
しかし、このような事態に遭遇すると、JRに限らず、どの航空各社もその対応は甚だお寒い限りだ。
私は東京大豪雪の当日、札幌のホテルで早朝からインターネットでJALのホームページで発着便の状況を確認し、ケータイで何度も予約センターに電話したが、全く繋がらなかった。やむを得ず、新千歳空港現地へ移動した次第だ。
現地のJALスタッフの弁。
「予約カウンターに並ばれても、ご覧の通りお客様が多く並んでいらっしゃるので、何時間かかるか分かりません。パソコンか電話で予約変更をする方が効率的と思われます。ただし、明日の便は既に満員との事です。」
「電話は朝から繋がらないよ。どうすればいいと?」
「申し訳ございません」
JALの対応は、これでおしまい。
「sorry。あとは自己責任でご勝手に」ということだ。
雪まつりの最中、札幌で今からホテルが取れる訳が無い。現に朝、ホテルをチェックアウトする際、今夕の部屋の空きを確認したが、満室だった。
だから、その時、「電車で帰る」ことにした。
航空機とは、そもそも、あてにならない、誠に「不確か」な乗り物なのだ。以前からそうであった。
ただし、JRの特急列車は、すでにこの段階で1時間40分遅れている(11時20分発の特急が13時になっても来ない)。
「飛ばない飛行機」と「遅れて走っているディーゼル機関車」の選択肢となった・・・
・・・・・・・
1991年10月、9時45分、私は羽田のANAチェックインカウンターにいた。10時の札幌行きに搭乗する為だ。しかし、チェックインは5分前に閉め切ったという。
相当早く、自宅から移動したのであるが、首都高横羽線が大渋滞し、空港着がぎりぎりになったのだ(この頃、ベイブリッジ線はまだない)。
たった5分違いで、私の座席はキャンセル待ちシートに割り振られてしまったのだ。この時のANAの接客は極めて役所的。
「遅れたあなたが悪い」だ。
因に、当時の航空各社は、羽田モノレールが遅延した場合は、その到着を待ってキャセンル対応をしている。しかし、バスは待たない。この不条理。
私は、キャセンル待ちの列に並んだ。札幌便に搭乗出来たのは16:00。
6時間待った・・・
この時の体験は、私に強烈なインパクトを残した。
「この乗り物と、運行会社はアテにならない・・・」
人ではなく、”モノを運んでいる”のだ、と思った。
私と一緒に、身重にかかわらず空港でじっと搭乗便を待ち続ける彼女が不憫で申し訳なかった。
ANAのバカヤロー話は今でも忘れない。
その数年後、私はやはりANA機で小松空港上空で、機体のダッチロールで死ぬような思いをした。
1995年6月、オホーツク紋別空港は、低くどんよりとした雲に覆われていた。空港に行くまでのタクシー内で、運転手さんに言われた。
「お客さん、気の毒だけど飛行機、飛ばないかもよ」
「何で?雨も降ってないのに」
「紋別空港は誘導装置が無いんで、こういう天気では飛行機が着陸できないんですよ。降りて来れないから、出発も出来ないわけ。」
この親切な運転手さんの予想は当たった。
乗る筈だった機体は、釧路空港に転進した。その数分前、何度かのトライアルの結果、ANAは無事着陸したのに、だ。
ただし、状況は相当に深刻であったらしく、空港売店のおばちゃん達が、ANA機着陸成功のアナウンスを聞いて一斉に拍手をした位だった。
「JALの根性なし」と私は呟いたが、冷静に考えると”根性”の問題ではなかった。
私は、その翌日、恩人の葬儀があるので、どうしても東京に帰りたかった。私は、空港を出てタクシーに乗った。先ほどの運転手さんが待っていた。
「どちらまで?」
「釧路まで行く気ある?」
「もちろん!2万円で行きます」といって、メーターを倒した。
私に言わせれば、JALもバカヤローだ。
釧路に行く途中、JALのバスとすれ違った。この場合、紋別に降りる筈であった旅客は、航空会社手配のバスで無償で予定到着地まで送迎されるとのこと。
やはり、このシステムは理不尽だ。
「お客さん、せっかくだから弟子屈とか、寄って行きます?案内しますよ」
「いや、先を急ぐんでいい。釧路でもアテにはならないからね」
「そうですか」
運転手さんは、ご機嫌だ。そりゃ、そうだろう。しかし、私は何かやり切れない思いを持ったままだった。
・・・・・・・
私は、今でも飛行機が嫌いだ。
座席が狭い。
揺れて恐ろしい。
CAの厚化粧はもっと恐ろしい。
物理的にも、システムとしても飛行機は嫌いだ。これまで、選択肢がある場合は、間違いなく「新幹線」を選んで来ている。実はこれも、好きな乗り物ではないが。
単に「モノ」を乗せて高速度で走ったリ、豪快に空を飛んだりする ”システム” がこの国にはある・・・