誰が彼らを裁くのか
安保法案の中央公聴会は、9月15日に開かれるそうだ。
翌日には横浜で地方公聴会もあると聞く。
この日程は、法案のシルバーウィーク前の採決を意識したものだ。
公聴会を開かねば国会での採決は行えない。これは、政府・国会の意図とは関係のない予め決められた「手続き」である。つまり、「強行採決」は行われる。
日本は戦後70年の節目に大きな方向転換を行うこととなる。
私達にとって、これは、ある意味で「戦後」が終わることを意味するのかも知れない。
忘れてしまってよいものなのであれば、私はそうすることにする。
私は昭和にあった戦争には参加していない。他国の人を殺してはいない。
また、「開戦」に関する意思決定や当時の世論誘導、情報操作にも加担していない。
「私には関係のないことだ」
そう思ってしまって良いのであれば、そうする。
日本民族として、贖罪の意識から解放されるのだ。こんな嬉しいことは無い。
今回の1件で改めて理解出来たことが幾つかある。
かつての「自民党」は、もう無い。死んでいる、ということ。
先日の総裁選は、無投票で現職の再選が決まった。
これは自民党の自浄能力の喪失を意味する。
自民党の派閥の領袖達は、「反安保」を掲げての現政権との決戦に背を向け、「現状維持」を選択した。政策の対案提示による直接対決を避け、3年後を見据えた戦略へと舵を切ったのだ。
自民党の全派閥は、間接的に「ABE安保」を支持した。
私達国民は、自民党から見放されたのだ。
これでもう、安保法案に反対する/出来る派閥・与党議員はいなくなった。
最後の最後の「望み」は、一つだけ。
いずれ野党から提出される内閣不信任決議案に、与党側から造反者がでる ”可能性” だ。
しかし、これはあくまでも ”可能性” である。期待は極めて薄く、絶望的だ。
このような政権運営を止められない政党に「自由」「民主」を名乗る資格は無い。
現総理も副総理も歴史に名を残す政治家の末裔である。
だからか、自分たちが「選ばれた人間である」あるいは「これは私にこそ与えられた天命・使命である」との勘違いをしている節がある。
また「自分は特別」との選民思想を持っているように感じ取れる。
この手の輩が誤ったリーダーシップをとることは危険だ。
勘違いの「万能感」から、とんでもない決断を下す場合がある。今回の1件は、彼らの「どうでもよい血統」がもたらした悲劇だ。
あの2人は、自分たちの家系に「誇り」を持っているようであるが、近い将来「呪われた血統」と呼ばれることになるかも知れない。
ABEのUSAでの家系にまつわる演説部分、AHOの「俺は爺ちゃんから保守本流を学んできたんだ」という発言…
私はおぞましい。熱意・情熱・理念ではなく、”血” で政治を行う人間が…
そうであれば、最高裁はその自覚を持たねばならない。
まずは「解釈改憲」ではなく「一票の格差是正」から始めて欲しい。
速やかに「選挙無効」を表明し、彼らの地位を剥奪してほしい。
彼らは憲法を無視するが、何故か最高裁は尊重するらしい。支離滅裂であるが、この際、その根拠などどうでも良い。最高裁は、彼らに「国会審議を行なう資格はない」と通告してほしい。
自称「平和の党」の執行部は、未だ悟りの境地には到達出来ていないようだ。
彼らの教義に従えば、執行部の面々は地獄に堕ちるであろう。
涅槃で誰かが待ってくれていると思うのは間違いだ。
彼らを裁くのは、最高裁でも歴史でもない。
閻魔だ。
次に来る参議院議員選挙とその後の総選挙において、私達は私達の権利を行使して、彼らを裁かねばならない。
裁きの中には「最高裁の国民審査」も含まれる。
誰かが彼らを裁く必要がある。
世の中に偏在する不遜をそのままにはできない。