「マタニティ・マーク」は知っているよ
最近の日本人は、私も含めて太っている。
デブが多い。不必要に。
昭和に比べ食環境が劇的に改善されたこと、経済的発展が食生活を豊かにしたことが原因だろう。今時の若い方には、信じられないと思うが、1960年代の日本人にとっては ”肉”=”クジラ” だった。
小学校の給食には、当たり前のようにクジラ肉が出たものだ。当時の日本の主要タンパク源は、牛・豚ではなく、クジラだった。
おめでたい時に、”スキヤキ” を食べるというのは、昭和世代にとっては、ささやかな贅沢だった。映画「三丁目の夕日」にそのようなシーンが出てくる。あの感覚は、まさに ”昭和”に生きた人にしか分からない。
それほど、日本人は貧しかった。
だから、当時太った人はそれほど多くなかった。
しかし、今は違う。
何で?って思うほど大きい、太った人が沢山いる。
これは、これで悪いことではない。これこそ日本が「欧米化」したのであり、日本が世界基準に到達した証だと思う。
問題は、別に発生している。
妊婦が分からないのだ・・・・
随分前の話であるが、私の彼女はブカッとしたワンピースを着て電車に乗った時に、何の理由も無く、席を譲られたことがあるそうだ。
彼女は「失礼しちゃう」と笑っていた。
(彼女は何故かマタニティドレスがすごく似合う)
しかしそれは、日本人(恐らく世界共通)の善意としてとても尊く、大切な行いだ。私もその話を聞いて、マタニティ・ママを見た時には進んで席を譲ることにしている。私の大切な人に善意を示して下さった世間の人達への感謝の気持ちを込めて。
なのに、・・・正直言ってどの方が「妊婦」か判断できない。
いや、臨月の方は分かる!
4〜5ヵ月くらいの方が見分けがつかないのだ。
恐らく、その責任は全て私にある。私が鈍感なだけだと思う。
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世の中、良くしたもので「マタニティ・マーク」なるものがある。
妊婦の方が分かるようにするためのものだ。
これをバッグ等に付けてもらえば、私のような超鈍感アホ男でも”妊婦”が一目で分かる!
それ!喜んで席を譲るべし!
と、なる筈なのだが・・・
私は少なくとも、これまで4回は席を譲り損ねている。
何故なら、この「マタニティ・マーク」は私にとっては「小さく、目立たない」のだ。
「そんなことはない!見れば分かるじゃん!」と言われそうだが、私にとっては視認しずらい。
小さい上に、色がおとなしく、女性が持っているバッグの色や柄のほうが目立ってしまうのだ。私にはあのマークが見えない。
できれば、もう少し大きく派手な色にして頂きたい。
あのデザインは良いと思う。しかし、日本人特有の「奥ゆかしさ」が出てしまっており、本来の役割を弱めていると思う。
「私は妊婦よ!席、譲りなさいよ!」
とは、決して訴えていないのだ。
素晴らしいデザイン、コンセプトであるが、私のような鈍感にかかっては、あのマークは意味をなさない。
私の自己満足を叶える為に是非とも「マタニティ・マーク」を大きく派手にして頂けないものか。
鈍感な日本の男達のためにも・・・