悲しく、つまらないアイデンティティ
「いつかはクラウンに・・・」
昭和を生きたおっさんで、このキャッチコピーを知らないものはいない。このコピーを「知らない」というおっさんは、恐らく「アグネス・ラム」も知らない、と言うだろう。
”モータリゼーション”という、不思議な言葉があった時代の話である。
ご存知、TOYOTA クラウンは、この自動車メーカーを代表する高級車である。
この車は、その歴史が古い、伝統的である、と言うだけでなく、先のキャッチコピーにあるように、車に対する「憧れ」の象徴でもあった。
TOYOTA社内での位置付けはもとより、その先進性、高性能、そして社会的ステータスのどれをとっても最高峰であった。レクサスブランドが存在する現在にあっても、クラウンが「日本における最高級車」である、と考える、思い込むジジイ達は多い。
別に、それはそれで構わないが。
この車は、斯様にTOYOTAを、ニッポンを代表する車種であるが故に、スタイル・コンセプトは保守的であった。良い意味でも悪い意味でも…
過去形で言ったのは、現モデル(S21型と言うらしい)が挑戦的でアグレッシブな一面を持っている、と評論家とメーカーが口を揃えるからだ。
クラウンに「アスリート」という走りのモデルが追加されてから久しい。
高級であることと、「もっさり走る」ことはいつの間にか同意になってしまっていたニッポン。
国内ですっかり自動車が売れなくなったTOYOTAは、マーケットの新規開拓の一環として、若者をターゲットにクラウンを売ろうと、極めて意欲的、挑戦的な取り組みを始めた。
「アスリート」というモデルが若者を意識して開発されたことは間違いない。その成果があったのか、までは知らないが。
私は、これを「堕落」とまでは捉えていない。
しかし、「媚」を売る事まではしてほしくないと思っていた。
「アスリート」は、悪い車ではなかったが、所詮、GT-Rとは出自が異なる。クラウンの派生車種である限り、イメージチェンジにもおのずと限界がある。
どこまで、クラウンの気風を失わず、それでいて、既成概念からの脱却を計るか、という命題は、「吉永小百合に娼婦の真似をしろ」というに等しい無理難題であったのかも知れない。
現クラウン・アスリートには、ピンク色のモデルがある。
デザイナーは、上級幹部から既存ユーザーに「ワオッ!」と言わせるようなサプライズを仕掛けろ!と命じられたそうだ。
その結果が、このド派手で、ケバく、下品極まりない、ピンク色のクラウンだ。
確かに初めて見た時、私は「ワオッ!」っと言った。そして、そのあと「オゲッ!」っとも言った。
「こんなクラウン、ヤンキーでも乗るかどうかわからんぞ…」
昔の大阪は、こんな色の車が夜中に蛇行運転で走っていたが、それはほとんどがローレルかマークⅡだった。いくら何でも、クラウンをピンク色に再塗装する輩はいなかった。
これは、大阪でも・・・、だ。
クラウンには、もう一つの「ワオッ!」があった。
フロントグリルのデザインだ。
大きく、口を開けたような黒いグリル・・・
悪魔が笑っているように見える。
・・・
TOYOTAは、このグリルを「エクスファイア」「プリウスα」「カムリ」にも採用している。
「ヴィッツ」もそれに似ている。
そして、つい先日発表された「MIRAI」(水素で走るクルマ)も、このイメージのフロントグリルだ。
これは、TOYOTAが自社の商品に共通デザインを採用し始めたのだと推測する。
パッと見た際、「あっ、TOYOTAのクルマだね」と誰が見ても分かるようなアイデンティティを与えているのだ。
この手の手法のメリットは、ベンツ、BMW、そして何よりベントレー、ロールスロイス、アルファロメオ辺りを思い浮かべると分かりやすい。
成功すれば、強烈なブランドイメージを消費者に植え付ける事ができる。成功すれば「無敵」だ。
一方、車にとって極めて重要な「顔」のデザインが最初から決まってしまい、商品開発上の大きな制約にもなり得る。手を抜きたいデザイナーにとっては「楽」をできるが、TOYOTAにそのような低劣な職業観をもったデザイナーは恐らくいないであろう。当然、社内では”是非”の論議があったはずだ。
これは、TOYOTAの ”挑戦” だ。
吉とでるか、凶とでるか・・・
私はとんでもない「失策」であると見ている。
これは、ブランドの毀損だ。
街中を走るあの顔のクラウンを見ると、可哀想で仕方が無い。
ピンク色については、言葉が浮かばない。
クラウンは、悲しく、つまらないアイデンティティを持った。
何故、ビジュアルのアイデンティティが必要と考えるのだろうか?
BMWの強烈なアイデンティティ、ブランド性は、あのフロントグリルではない。