暑さとの戦い
BLOGOSのこの記事に思わず見入ってしまった。
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http://blogos.com/outline/128179/
全国の公立小中学校のエアコン設置率に凄まじい地域差があると言う記事だ。
これは、意外だった。
所沢市で「エアコン設置の是非」に関する住民投票が行われたことは記憶に新しいが、地域格差がここまで存在するとは意外であった。
私は学校へのエアコン設置は ”YES” の立場を取りたい。
エアコンをいまさら贅沢品とは思っていない。また、日本の子供達を堕落させる享楽品とも思っていない。無いよりはある方が良い。色んな面でそれが合理的だと思う。
子供達の精神修養に「暑さ」など、利用するものではない。
さらに言えば「私が子供の頃は・・・」との言い分は頂けない。
伝統的スポーツ校に先輩・後輩間のイジメが存在することを肯定するのと同じだ。
少なくとも経済的ジェネレーション・ギャップに起因する環境格差に関しては、私達は受け入れるべきだ。親父・お袋たちの子供時代を察すれば当然の帰着である。
せめて、公立の学校にもエアコンを設置してあげてほしい。
私の通う高校は公立(府立)であったが、当時では珍しく全教室エアコン設置だった(単独設置ではなく中央制御方式)。
その理由は、学校上空が旅客機の飛行経路にあったことだ。
近くではないが、伊丹空港が少し向こうにあったため、しょっちゅう学校の上をジェット機が飛んでいた。
日中から相当にうるさく、そのため、窓を開けずに授業ができるようにと、当時から府の予算でエアコンが設置されていたのだ。一般家庭にクーラー(エアコンではない)が普及し始めた頃の話である。
私達は、さぞ、快適な高校生活をエンジョイした、と思われそうだが、それは違う。
初夏の頃から、教室の窓はほぼ空けっぱなしであった。
冷気が全くと言っていいほど効かなかったから・・・
暑くて、とてもやってられなかった。
だから、窓、全開。
女子がスカートをまくってウチワで股間を扇ぐようなことはなかったが、相当に暑かったことは記憶している。因に彼女のいた女子校では、それをやっていたとのこと(ウチワの件)。
飛行機の騒音は、入学して数週間で慣れた。
先生方も飛行機が上空を通過する際は、授業であっても言葉を止めていた。私達にはそれで十分だった。
私に「授業で先生の声が聞こえない」との記憶は全くない。
それよりも、「暑いから窓を開けよう」と、生徒の判断で教室内の換気をしていた。これについて、先生から何か文句を言われた記憶は無い。
「ゆず君、暑いから窓空けて…」
私は窓際に席があって、誰かからそんなふうに言われた記憶があるだけだ。
「練習中の水分補給は絶対禁止!」
これは、中学・高校のバレー部で共通だった。
自分でも、よく、熱中症で練習中に倒れなかったものだと思う。
実は、私の記憶では、暑さを理由に練習中に卒倒した仲間はいない。
確か・・・、いない。
あんなに暑く、数時間の練習中、いっさい水分補給が許されなかったのに…。
水分補給禁止の理由は、先輩曰く「疲れるから」
そして、今、これを信じる人はいない。
これは一体、何を根拠に、誰が言い出したのか?
恐らく、日本の多くの学校部活動で踏襲された、くだらない伝統的行為だと思う。
因に、当時「アルカリ飲料」なるものは日本に存在しなかった。補給できたとしても純粋に水だけだ。それに「塩」を突っ込む知恵は当時の私達には当然ない。だって、水がNGだったのだ…
我々は、精神論に支配されていたのであろうか。
「練習とはきつく、耐えるべきものだ」と。「先輩もそうしてきた」と。
バカバカしい。
あの頃、夏の最中、卒倒する同級生はいなかったが、それは「当時は今ほど暑くない」あるいは「当時の人達は耐性で今より勝っていた」から、という理由はあまり信用していない。
私も調べてみたが、例えば、20〜30年前と今とで、日本の平均気温に大した差はない。
データ上「今が特別暑い」という明確な根拠はないのだ。
昔から、日本の夏は暑かった、と思う。
要は、どう、それと付き合って行くか、の問題だ。
先日、川崎太師の「風鈴市」に行っていくつかモノを買ってきた。
今も、それは窓際で鳴いてくれている。これは、涼しい気分になる。
この数日、時々、食卓に「かき氷」がでる。
もちろん、ビールは飲んでいる。日中から…
先日、お隣からスイカを戴いた。これ、どこで作っていたんだ?
昨夜、庭で花火をした。お盆なので。
そう言えば、迎え火の準備も必要だ。
彼女、数年前は、ゴーヤでグリーンカーテンを作っていたが今はやっていない。
そう言えば、いくつかあった簾はどうしたんだろう?最近出していない。
風鈴は今も鳴っている。
名前は「鈴虫」。南部鉄のもの。いい音だ。
私達は、ず〜っと昔から、夏と同居していたのだ。
それは「戦い」ではなかったと思う…