オリオン座が沈む窓

azuyuz captain's log〜”ゆず”艦長の航海日誌

DVD/BDコンテンツの将来

 最近、JCOMで番組を見ていて少し嬉しいことがあった。

 「火の鳥:鳳凰編」「デビルマンOVA(誕生編/シレーヌ編)」「魔法少女まどか☆マギカ(全話)」が放映されたのだ。

 上記は、各々以前に見たことがあるのであるが、どうしてももう一度見てみたくなり、DVDを購入しようかと考えていた矢先のことだった。

 私は暇人であるが、かといって、日中昼間からずっとTVを見ている訳にはいかない。少しは仕事もしなくてはならないし、会社らしき所にも行かねばならない。番組表等で事前にあらゆるコンテンツの放映予定が分かっていれば、見逃すこともないのであるが、中々そうもいかない。

 いつ、どのようなコンテンツが放映されるのか、手軽に認識できる方法があればいいのにと日頃から思っている。

 

 どうしても見てみたい番組があれば、それを叶える一番の近道はコンテンツをDVD/BDで購入することだ。しかし、値段が高い。何故か凄く高い。だから、何でかんでも買ってしまう、という訳にはいかない。

 その点、2〜3年待っても構わない、と居直ることができるのであれば、JCOMで放映されるまで待てば良い、ということだ。

 若い人には耐えられないと思うが、私のようなおっさんになると大丈夫だ。待てる。十分に待てる。

 この考え方で、ずーーーーーっと待っているのが「魔法少女まどか☆マギカ:叛逆の物語」だ。

 この話、さすがにおっさん一人で映画館に足は運べなかった。息子に『「マドマギ」見に行かね?』と聞いたら、「おやじ、何それ?」と言われた。

 エヴァンゲリオンに誘ったら「ゴメン、友達と行く」

 おっさんはアニメひとつ見るのも大変なのだ。

 と、言う訳で早く「魔法少女まどか☆マギカ」放映しないかなぁ…、と待ち続けている。

 以前、刑事コロンボのBDを購入した話を書いたが、実は今でも某CHでこの番組は放映されている。つまり、BDを買わなくても全話見ることは可能であるということ。マメにチェックさえすれば。

 これは、STAR TREKについても同様だ。

 で、あれば今後、コレクションにするつもりがなければ、特定の番組見たさにDVD/BDを購入することは無いかもしれない。ひたすら、JCOMでの放映を待ち続ける…

 今、JCOMでの放映を心待ちにしているシリーズは、例えば以下のもの。

 

・「物語」シリーズ

・救急指令ソルブレイン

帰ってきたウルトラマン

サンダーバード

 

 一方、以下の番組については、JCOMでの放映のおかげでDVD/BD購入に至らなかったもの。

 

銀魂

イニシャルD

黒子のバスケ

世界名作劇場小公女セーラ/ロミオの青い空/7つの海のティコ、等)

ガンダムユニコーン

アルスラーン戦記

レ・ミゼラブル

NHK 映像の世紀

・Discovery CHのドキュメンタリーの多くの作品

 

 因に大概の映画については欲求を満足済みだ。

 JCOM最高。

 しかし思うに、今後、誰がDVD/BDをあの値段で購入するのだろうか。

 BDは全て1000円にしないと売れない、と心配している。

 

 

 

 

18歳への難問

 参議院選挙は7月10日が投票日となった。

 先の国会閉幕直後の首相記者会見での表明により、与党側の選挙争点は「消費税増税の延期」を是とするか、非とするかだ、と定義された。

 増税延期は、経済の客観情勢から見て恐らく妥当な判断なのだと思う。相当前から専門家の一部の方々は「延期」を提唱されていた。

 政府は認めなかったが、2014年4月の8%への税率引き上げの影響は相当なものだったようだ。このままの経済情勢で10%への引き上げが実施された場合、景気への打撃は致命的なものになったことだろう。

 アベノミクスの正否は、こういっては何だが、もうどうでもいい。

 日銀が如何なる金融政策を打ち出そうと、政府がどれだけ土建屋に仕事を与えようと、一般消費者の家計には何の福音も与えないということが、自明ではあったが、安倍政権下で改めて証明されたということだ。

 今後、「・・・〜ミクス」という訳の分からん恥ずかしい政策名を使う総理大臣は2度といないであろう。

 これまで本当に恥ずかしかった。

 

 さて、今回の参議院選挙から、選挙権が18歳にまで拡大される。

 若い世代の投票率がどうなるのか、少し興味がある。

 恐らく、20歳と18歳の投票率に大きな差が出るとも思えないが、ともかく彼らがどのような判断をするのかは興味がある。

 しかし、彼らにとってはいきなりの難問であるとは思う。

 首相は「参院選で消費増税延期の信を問う」と表明した。

 自民党が勝てば(連立与党で過半数確保)、臨時国会で延期のための法案が出され、消費税はめでたく2年半、延期となる。しかし、公約を守れなかっただけでなく、自らの政策失敗を認めようともしない「嘘つきの政権」を支持することを意味する。

 一方、現政権を否定するのであれば、どこかの野党に投票せざるを得ない。

 しかし、統一名簿すら作れない野党に政権交代の夢を託す楽天家、というか、愚か者は恐らくいまい。

 18歳の彼らは、いきなり究極の選択をしなくてはならない。

 どこに投票しても、意思表明としてはろくなものではない。

 よくよく考えれば、どの政党も支持するに足りないのだ。

 カレーみたいなウンコとウンコみたいなカレー、どちらがいい?と聞かれているようなもの。ふざけるな、と彼らも言いたいと思う。

 そして、このことが若い世代の絶望、虚無感、政治へのシラケを誘発している。

 私達はこんな社会の状況を放置していて良いのだろうか。

 あんなアホな政治家をこのまま生息させておいて良いのだろうか。

 東京都知事の記者会見を見て、皆、何とも思わないのだろうか。

 「新しい判断」と公約破棄の違いは何なのか。高校生にも分かるように説明する大人はいないのか。

 

 ある世論調査によると、増税延期の賛成/反対は各々30%程度で拮抗している。

 しかし、問題は残りの40%近くが「どちらとも言えない」と回答していることだ。

 どちらでもない?

 それを思考停止というのだ。

 考えていない。

 この40%の人間は恐らく投票には行かない。公民権を放棄する。どうでも良いと思っている無責任な大人たちだ。

 このようなアンケート結果を世の大人たちは恥ずかしいとは思わないのか?

 この国の美徳は死んだ。

 そう、「この国はすでに死んでいる」のかも知れない。

 「日本、死ね」と言われるまでもなく…

 

 

We shall not perish from the earth.

 先日、読売新聞で興味深い記事を見かけた。以下がそれだ。

 

トランプの小学生英語が米国民にササる訳 : 読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20160527-OYT8T50012.html?from=tw

 

 要するに、何故、トランプ候補のスピーチがアメリカ国民にかくも受けているのか、と言うと敢えて場に応じた、分かり易い言葉を選び、飾ること無くどちらかというと庶民的(?)な俗っぽい内容であるからだ、ということらしい。

 う〜ん、分かったような、分からないような。

 引き合いに出されている日本人政治家は田中角栄。なるほど…

 しかし、トランプ氏と言えば、角栄というよりは麻生太郎の方が近い気がするが如何だろうか。我が国においては、太郎は十分に下品だ。資産家で横柄だし。

 何でもトランプ氏の英語のレベルは、引用記事によると6年生レベル未満だそうだ。え〜って感じがする。

 この記事の中でも引用されている見本が、かの有名なリンカーンゲティスバーグにおける演説だ。

 この演説がUSA史の中で最も優れているという説は、D・カーネギーの著書「話し方入門」にも出てくる。

 リンカーンのレベルは11年生、日本でいうと高校2年生とのこと。これで、高校生なんだ…

 スピーチの見本であると、あちこちで絶賛されているので、それを引用しておく。ソースは何とアメリカ大使館のポータルサイト

 

Four score and seven years ago our fathers brought forth on this continent, a new nation, conceived in Liberty, and dedicated to the proposition that all men are created equal.

Now we are engaged in a great civil war, testing whether that nation, or any nation so conceived and so dedicated, can long endure. We are met on a great battle-field of that war. We have come to dedicate a portion of that field, as a final resting place for those who here gave their lives that the nation might live. It is altogether fitting and proper that we should do this.

But, in a larger sense, we can not dedicate - we can not consecrate - we can not hallow - this ground. The brave men, living and dead, who struggled here, have consecrated it, far above our poor power to add or detract. The world will little note, nor long remember what we say here, but it can never forget what they did here. It is for us the living, rather, to be dedicated here to the unfinished work which they who fought here have thus far so nobly advanced. It is rather for us to be here dedicated to the great task remaining before us - that from these honored dead we take increased devotion to that cause for which they gave the last full measure of devotion - that we here highly resolve that these dead shall not have died in vain - that this nation, under God, shall have a new birth of freedom - and that government of the people, by the people, for the people, shall not perish from the earth.

87年前、われわれの父祖たちは、自由の精神にはぐくまれ、人はみな平等に創られているという信条にささげられた新しい国家を、この大陸に誕生させた。

今われわれは、一大内戦のさなかにあり、戦うことにより、自由の精神をはぐくみ、自由の心情にささげられたこの国家が、或いは、このようなあらゆる 国家が、長く存続することは可能なのかどうかを試しているわけである。われわれはそのような戦争に一大激戦の地で、相会している。われわれはこの国家が生 き永らえるようにと、ここで生命を捧げた人々の最後の安息の場所として、この戦場の一部をささげるためにやって来た。われわれがそうすることは、まことに 適切であり好ましいことである。

しかし、さらに大きな意味で、われわれは、この土地をささげることはできない。清めささげることもできない。聖別することもできない。足すことも引 くこともできない、われわれの貧弱な力をはるかに超越し、生き残った者、戦死した者とを問わず、ここで闘った勇敢な人々がすでに、この土地を清めささげて いるからである。世界は、われわれがここで述べることに、さして注意を払わず、長く記憶にとどめることもないだろう。しかし、彼らがここで成した事を決し て忘れ去ることはできない。ここで戦った人々が気高くもここまで勇敢に推し進めてきた未完の事業にここでささげるべきは、むしろ生きているわれわれなのである。われわれの目の前に残された偉大な事業にここで身をささげるべきは、むしろわれわれ自身なのである。―それは、名誉ある戦死者たちが、最後の全力を 尽くして身命をささげた偉大な大義に対して、彼らの後を受け継いで、われわれが一層の献身を決意することであり、これらの戦死者の死を決して無駄にしない ために、この国に神の下で自由の新しい誕生を迎えさせるために、そして、人民の人民による人民のための政治を地上から決して絶滅させないために、われわれ がここで固く決意することである。

-------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

 文法としては、決して難しくはないと思う。そして、それがリンカーンの良い所。そして、内容とその表現は歴代の誰よりも高潔であるという…

 

 先日、オバマ大統領が広島市を訪問し核なき世界の実現に向けたスピーチを行った。

 謝罪無き内容が云々、という人もいるが、私は新聞で彼のスーピ全文を読んで素直に感動した。

 ただ単に、彼の伝えたいとするメッセージに共感した。

 2009年1月20日、ワシントン連邦議会前での就任演説も気に入っている。

 彼は政治家であり、その演説にさまざまな思惑が隠れていたとしても当然である。

 しかし、私は彼の演説は好きだ。

 

 

若冲展、その後…

 熱狂と言ってもいい状況の中、若冲展は終わった。

 入場者数は、何と44万人とのこと。1日当たり1万人以上が訪れた計算になる。

 多くの人々が、300年前の天才が残した名画に酔ったことだろう。私もその中の一人だ。

 実は若冲展において残念なことが一つあった。

 展覧会のカタログが品切れしていたのだ。

 私は絶対に買うつもりであったので、相当にショックだった。

 会場では、後日の郵送申し込みを受付けていた。もちろん、迷うこと無く申し込んだ。

 発送は、23日以降とのこと。値段は3000円。送料は無料。

 3000円はこの手の書籍としては相場。カタログは毎回買っている訳ではない。気が向いた時だけだ。この前は2011年夏の「空海密教美術展」で買って以来になる。

 何とも待ち遠しい気持ちを押し込めて私は申し込み手続きを行った。

 

 5月27日(金)、カタログは着荷した。

 あの感動が再来した。

 見ての通り、表紙自体が既にアートである。装丁も非常に丁寧で美しい。

 一端であるが内容を紹介させて頂く。

 

f:id:azuyuz:20160528082356j:plain

 

f:id:azuyuz:20160528082429j:plain

  

f:id:azuyuz:20160528082721j:plain

 

f:id:azuyuz:20160528081930j:plain

 

f:id:azuyuz:20160528081730j:plain

 

f:id:azuyuz:20160528081748j:plain

 

 このようなものがこの値段で手に入ることがありがたい。

 展覧会自体が素晴らしいものではあったが、このカタログはその内容を記録・記憶しておくに相応しいものである。

 たった3000円でこれが手元に置けることは幸運だ。

 手に取ってみて、本に心を動かされたのは一体何年ぶりだろうか…

 宝物にしたいと思う。

 

若冲が大好きな日本人

 日曜日(5/15)に「若冲展」に行ってきた。

 連日、凄い人出で会場が混雑を極めていることは知っていた。平日でも2時間待ちは当然と噂されていた。

 しかし、どうしても見てみたかったので、彼女を誘ってみたら「いいよ」との返事。

 彼女は若冲のことは全く知らない(現代画家だと思っていたらしい)。

 しかし、どうやら友人などから話を聞いて興味を持っていたようだった。

 私達は、美術館での待ち行列を覚悟して、朝一番で出発した。

 2人とも涼しい服装で水分も持参。2〜3時間の待ち行列を想定して完全武装の準備をした。

 上野に到着したのは9時過ぎ。開館は9時30分だ。

 美術館に到着すると、既に長い行列ができていた。

 チケットは前日に彼女がファミマで購入してくれている。

 直ちに行列最後尾に並ぶ。

 係員のプラカードによると、待ち時間は「240分」とのこと。

 「・・・」

 である。

 

 しかし、ともかく並ぶ…

 現地は大変な混雑であったが行動に迷うことはなかった。

 係員の方が

「入場券購入の方はこちらです…」

「既にチケットをお持ちの方はこちらに並んで下さい」

 と、丁寧にエスコートしてくれている。

 私達が並んだ後も、続々と人がやってくる。ほんの数分もすると、私達の後ろには驚くような行列ができていた。そして、その行き先は遥か彼方だ。

「一体、この行列、どこからどこまでいくんだ?」

 その日は熱い朝であったが、逆に背筋が寒くなった。

 

 列は延々と続く。

 どうやら、美術館の周りをとり囲んで、その先で折り返しているようだった。

 皆さん、私達と同様に覚悟の上の行列らしく、さまざまな準備をされていた。

 文庫本を持ち、日傘をさして並んでいるご夫人・紳士が多く目についた。タブレットを手にする人もいる。

 中には、Mac Book Airを手のひらに乗せて何やら入力しながら並ぶ人や、ビシッとスーツ・ネクタイを決めたビジネスマンらしき方がいた。着物姿のご夫人も数人いらっしゃった。

 年齢層は、まさにさまざま。決して中高年ばかりではない。外人さんもいた。

 ベビーカーに小さな子供を乗せ、ひたすら日光から守るように列に並ばれているママもいる。

 そもそも、若冲展が大変な人気で壮絶な混雑をしていることは知っていたが、それにしても、日曜の朝から、炎天下をかいくぐりこれだけの人達が行列を作るとは、やはり驚きだった。

 

 一方、現地には多くのスタッフが配置されていた。

「4列に並んで下さい。他の方の通行のための道を空けて下さい」

「待ち時間は長くなりますので途中での水分補給を欠かさないで下さい」

「気分が悪くなったら、最寄りのスタッフに声をかけて下さい。大丈夫でしょうか…?」

「並んでいる方々で交代して木陰で休憩をとるなど無理をしないで下さい」

「小さなお子様、ご高齢の方々への配慮をお願いします」

 多くのスタッフが、並んでいる途中で卒倒する人が無いよう、色々な声掛けをしてくれていた。

 行列の途中には給水所が設けられている。

 人々は行列を一時離れ、水を手にするとまたもとの行列に戻る。混乱は無い。

 また、行列は主催者側が意識していたのか不明であるが、木陰が続く通路沿いにエスコートされていた。だから直射日光を浴び続けた訳では無い。

 そして、これには私達も助けられたのであるが、現地スタッフが日傘を配っていた。この日傘は、美術館の入口で回収された。

 係員は、タイミングを見計らって注意喚起を行う。

「この先に自動販売機があります。必要であれば飲料水の購入をして下さい。列を離れる場合は、周りの人に声をかけて下さい」

 この行列は大変な苦行ではあったが、トラブルを出来る限り起こさない努力を主催者側がしてくれていることは理解出来た。

 また、それが如何にも日本らしい配慮だと感じた。

 結局、私達は3時間待って入場した。

 本来であれば、誰もこのような行列に好きで並ぶ人などいまい。

 それもこれも皆「若冲」が見たいからだ。良く我慢したものだ。

 そして、その甲斐はあった。

 

 圧巻だった。

 絵を見てこれほど圧倒されたのは初めてだ。会場では、ため息と感嘆の声があちこちから聞こえた。

 

 300年前の天才画師に多くの人が熱狂した。

 夢を見ているような1時間であった。

 そして、それにたどり着くまでの間の人々の想いや行動は、いかにも日本人らしかったような気がする。

 そう、私達は若冲が大好きな日本人なのだ。

  

 

 

 

どうしても欲しいもの

 撮り鉄がどこそこでトラブルを起こした、迷惑行為をしたとの記事を良く見かける。

 本来、そのようなことに記事としての価値が存在するのか疑問であるが、ネット上では「鉄」達に対し、日頃の鬱憤を晴らしているかのような批判を投げつけている人は結構いる。

 確かに、個人の趣味のために、他人や社会に対し、子供じみた迷惑をはたらく輩は如何なものか、とは思う。

 しかし理解出来ない。

 彼ら(鉄)は、常軌を逸してまで、何故あのような行動をとるのであろうか。何に打ち込んでいるのだろうか?

 美しいと自分が考える写真を撮るためには、安全無視、社会道徳無視、環境破壊OKとは、どういう頭脳構造なのだろう…。理解不能

 電車や車両に、工学的な興味や魅力を感じることがあるのは私も理解出来るが、たかが写真を撮るためだけに、非常識な行動がとれる理由が想像出来ない。

 そもそも、オタクはそういうものだ、との意見は散見されるが、その批判にもさして根拠は見当たらない。

 このような意見は、健全なる鉄道ファンにとっては記事にかこつけた誹謗中傷とも言え、真性の愛好者にとっては如何にも差別的に受け取れる発言だ。

 とは言え、「鉄」に限らず、公衆マナーは遵守せねばならない。趣味が高じての迷惑行為は厳に慎んで頂きたい。

 

 さて、そう言う私も鉄道に関しては「どうしても欲しいモノ」は、実はある。

 これだ ↓

 

f:id:azuyuz:20160509203958j:plain

みどりの窓口に設置されていた端末

 

f:id:azuyuz:20131014084024j:plain

②車掌さんが持っていた車内補充券

 

 この2つは、可能であれば是非欲しい。

 ①は「マルス端末」とも言われているらしい。私は「みどりの窓口にあったパタパタする端末」と勝手に言っている。

 Google先生はさすがで、上記の表現でもちゃんと検索してくれる。

 左側の穴の空いたボードは「タブレット」と当時は言われていた。行き先と出発地の書かれた穴に棒(端子)を突っ込むようになっている。駅数が多いため、ボードが何枚もノートのようにめくることができるようになっている。

 私はこの端末操作を見るのが大好き。

 今のJRでは、機械式のタブレットではなく、CGになっている。

 あの「パタパタ」いう音が大好きだった。CGでは味気ない。だから今の端末に興味はない。

 しかし、東京の某所に、このCG式端末を猛烈なスピードで操作するJR東の女性社員がいるそうだ(NHKでやってた)。その方は是非見てみたい。

 この端末、まさか手には入らないが、入手出来たとしても家に置き場は無い。やはり、夢は夢だ。

 

 もう一つ欲しいもの。

 これはGoogle先生に教えてもらったのであるが「車内補充券」と言うそうだ。

 昔は、車掌さんがこれを束にして持っていた。

 行き先の変更があった場合の清算をこの長い切符を使って行う。

 最終目的地と保有する切符の継続点に当たる駅名のある場所に、穴を空けることでFrom Toを表す。

 日本全国の地図を網羅しているかは知らないが、結構な束になった切符を車掌さんは持っていらっしゃる。私はこの束がどうしても欲しかった。

 何で?

 いや、別に自分でもそれに穴を空けてみたかっただけ。あちこちに。ただ、それだけ…。

 アホみたいだけど、今でも真剣に欲しいと思っている。

 現在、この「車内補充券」は分厚い携帯型端末になっている。

 清算後の切符は、ちゃっちいレシートみたいなもので出力される仕掛けだ。これじゃ、つまんない。

 あの長い切符が良いのだ。

 写真で分かるように、地図みたいになっていて、どの辺りの地域に何と言う駅があるのかが分かる。これを見てるのが楽しい。

 実はこれにはおまけがある。

 車掌が切符の精算額を計算するために、何やら色んなことを書いてある手帳を参照するのだ。

 詳しくは知らないが、手帳を見てあれこれとその場で精算額を計算する。実はこれも欲しかった。

 一体、どういう仕掛けだったのであろうか?現在のように、モバイルコンピュータが存在しない時代の話だ。

 「車内補充券」…、欲しい!

 

 先日、京都の鉄道博物館の紹介をする番組がNHK BSで放送されていた。

 別に「鉄」でなくとも、これには興味は湧く。

 しかし、何で人は電車に魅了されるのだろうか…

 

 

古戦場にて

 休日を利用して帰省した。

 慣れた東名高速、新名阪道の往復である。しかし、ニュースもある。今年2月に新東名高速の浜松いなさIC〜豊田東ICが開通したことだ。

 これにより、御殿場ICから伊勢湾岸道路までが一気通貫になったので、さっそく走ってみた。

 ゴールデンウィーク中の旅程であったが、大きな渋滞に巻き込まれることもなく、極めて快適なものであった。

 東西を結ぶ大動脈ともいえる主要道路の整備は、利便性はもとより災害時のバックアップ、経済波及効果等、さまざまな利益を関係地域にもたらすことだろう。

 正直、人口減を予測される日本において、東京・大阪間にもう一本の高速道路が必要なのか疑問を持つこともあったが、いざ完成して利用するとその利便性の良さには感心してしまう。

 脱帽だ。

 

 新東名の売り物の一つは、21世型のSA(サービスエリア)が挙げられる。

 永らく高速道路SAの店舗群は、道路公団のファミリー企業が独占してきたが、いつからか規制緩和が行われ、今ではこれにまで無かった多様なお店が立ち並んでいる。

 もちろん、これは良い意味だ。

 以前のSAで摂る食事は、拷問のようなものだった。

 高い、不味い、サービス悪いの3拍子が揃っていた。

 SA、スキー場の食事と言えば、カレーと蕎麦が定番。最低だった。

 それが、今は値段は相変わらず高いが、モノ・味は格段に進化した。これであれば、特定のSAでの食事を狙って旅行する人がいても不思議ではない。旅行の楽しみが増えたと率直に評価したい。日本も棄てたものではない。

 今回、浜松いなさIC〜豊田東ICを走ってみたのであるが、ここには岡崎SAと長篠設楽原(ながしのしたらがはら)PAが新設されている。

 せっかくなので、2つとも立ち寄ってみた。

 長篠設楽原PAは、その名が示す通り、古戦場として有名な長篠にある。それも、下りのPAは、織田・徳川連合軍が本陣をおいた茶臼山のすぐ隣に造られている。

 これは、たまたまなのか、それとも「このエリアにPAを造るのであれば茶臼山の傍にしよう。その方が話題になる」と考えたのか。

 後者であれば、素晴らしい発想だと思う。

 このPAは、入るとすぐ幾つかの昇りの旗に気がつく。見てみると、織田、徳川の昇りだ。しかし、それだけではない。

 六文銭の旗もあるのだ。

 なるほど、確かに真田も武田家の家臣であった。大河ドラマに因んでのことかもしれないが、長篠であればこそ出来る企画だ。

 因に、下りのPAは、織田・徳川を、上りは武田をモチーフに建物がデザインされているとのこと。上りのPAは下りに比べるとやや小さめだった(両方行った)。

 PAのお店はアイデア満載だ。ともかく面白い。楽しい。

 食事・買い物・観光の3つが同時に楽しめる。

 これは、新しいSAの楽しみ方の提案でもある。PAでも無ければ、この地に立ち寄ることも恐らく無かったであろう。

 どうせ造るなら、SA・PAも楽しくあったほうが良いに決まっている。

 諏訪湖浜名湖のSAは、その立地だけでも十分に意義があるが、風光明媚でなくても楽しめることを長篠設楽原PAは示している。

 新しいSAの登場を素直に喜びたい。

厚化粧の下

 つい先日、三菱自動車について書いたばかりであるが、私の悪い予想はどうやら当たっているようだ。

 この数日の記者会見の状況を見ていると、事態は目を当てられない方向に向かっている。想像以上に、あの会社は腐っていた…。

 「三菱ブランド」

 関係者は、斯様な偶像にすがっている場合ではない。

 事態の深刻さに鑑みて、早急にありとあらゆる対策を打たないと、本当に会社清算を余儀なくされ兼ねない。

 三菱だから、などとゆめゆめ勝手な妄想をしない方が良い。戦前と戦後では、”財閥” の意味は全く異なっているのだ。

 週刊誌の取材に、三菱自動車社長の親父殿が随分と勝手なことを答えているようであるが、調子をこいていると、世間からは三菱全体がそのような風土・文化なのだと誤解されかねない。あまり風評を見縊らない方が良いと忠告しておく。

 

 さて、菱形の会社はタコ殴りのボコボコ状態である。批判した私が見ていても気の毒なくらいに。まあ、因果応報であるが。

 しかし、少し待って欲しい。

 燃費に関するデータ不正、改ざんは到底許されることではないが、私達、日本人全員が自覚しておくことがある。

 「実用燃費」という考えてみれば奇天烈な日本語がある。

 ご存知のように、燃費のカタログ値と実測値の違いを表した言葉だ。

 一般に、日本車は特にドイツ車に比べると実用燃費が著しく劣る傾向にあると業界では見られていた(結構前から…)。

 私達の世間話の中でも「ドイツ車の実用燃費は良いから」という会話は頻繁にあった。

 一例を示す。

 初代プリウス:28Km/ℓ → 13Km/ℓ(46%)

 2代目プリウス:35.5Km/ℓ → 15Km/ℓ(42%)

 VW UP!:23.1Km/ℓ → 15Km/ℓ(65%)

 私の所有していた車のカタログ値と実用燃費の悪かった時の値の比較だ。

 カタログスペックの目安の話をしているので、敢えて条件の悪い時の数値を出している。それでも、プリウスとUP!の違いは歴然だ。

 実際、UP!は高速道路を走らなくても20Km/ℓ近い燃費を出すことはフツーにある。これは、プリウスには無かった。

 「当たりが悪いんでしょ」

 そうかもしれない。しかし、10年以上、ハイブリッドカーに乗っているのだ。「当たり」で済まされてはたまらない。

 因に「モーターファン別冊 VW UP!のすべて」(H24.11.9発行)に、UP!、アクア、FITハイブリッドの "燃費カタログ値達成率" という記事が掲載されている。

 東京の四谷から首都高、中央高速を乗り継いで富士山を回って河口湖から帰ってくるというルート(330Km)で、この3車の実用燃費がカタログに比べてどうであったかを調査したものだ。

 その結果。

①UP! : 22.7Km/ℓ(91%)

②FIT:25.0Km/ℓ(82%)

③アクア:26.0Km/ℓ(64%)

 

 別段、トヨタとホンダを貶めたい訳では無い。絶対燃費は皆優秀だ。FITは先日、沖縄に行った際にレンタカーを利用したが、3日間で23.0Km/ℓだった。これが実力だと思う。

 私が問題にしたいのは「カタログ値」だ。

 いくらなんでも盛り過ぎだろう。このような数値、日本のどのような道を走っても出てこない。

 本来、日常の利用シーンになぞって走った場合の燃費目安を示したものが「JC08」モードというのであれば、今自動車メーカーがカタログに表示している数値は皆 "偽造"だ。

 スリーダイヤだけを叩けば良いものではない。

 だって、現にVWの実用燃費はほぼカタログ通りではないか。

 日本車は、今回の事件よりもはるか、ずーーーーっと前から、消費者から見ればあり得ない計測数値を カタログに確信犯として掲載してきており、運輸省もそれを見過ごしてきているのだ。

 何のことは無い。自動車業界では、皆、多かれ少なかれ鉛筆を舐めている、ということだ。

 だから、私はこれ以上、三菱のことは責めない。

 それよりも、これを機に業界として真摯に製品を作って欲しい。

 見せかけのカタログスペックではなく、実用的な性能で競争してほしい。

 

 見かけは綺麗な美人であるが化粧の下を覗くととんでもない素顔が隠れている…

 日本の車は、そんなものであってほしくない。

 

 

 

  

 

海に棄てられるダイヤモンド…

 三菱自動車がまたしてもやらかした。今回は、燃費データ不正とのこと。

 私は当ブログでこの自動車メーカーを一度こき下ろしたことがある。一方、ランサーエボリューションを例に褒めちぎったこともある。

 このメーカーが好きなのか、嫌いなのか、一体どっちなんだ?と聞かれても困る。どちらでもないから。

 ただ、私にすれば無視すれば良い存在ではない。気になっているからこそ言及している。

 しかし、今回の一件でこの会社の命運は尽きるかも知れない。

 この事件に対する社会の批判の目は厳しい。当然だ。

 繰り返された不祥事であるからだ。

 一体、この会社の組織、内部統制はどうなっているのだろうか。誰もが持つ疑問だ。

 一件には、社内の数名がかかわったと社長は記者会見で述べていたが、そんなことはあるまい。

 相当数の関係者がこの事実を知っていたはずだ。そして、それを隠蔽していた。と私は見る。

 

 あちこちで専門家が軽自動車における燃費競争の激しさ、過酷さに言及している。

 スズキ自動車の開発者インタビュー記事を読んだことがあるが、軽自動車において燃費をほんの数%改善するには、血の滲むような努力をするそうだ。

 エンジン性能の改良だけではなく、ボディの軽量化、駆動系の摩擦低減、タイヤ性能向上等、総合的な技術革新によって初めて燃費性能の改善が成し遂げられる、ということを開発者は言っていた。

 そもそも、軽自動車は燃費が良い。

 よって、その改善は容易なことではないのだ。

 三菱自動車の開発陣に対し、経営者から燃費改善の厳命が出ていたことは容易に想像がつく。開発陣が燃費改良の技術的限界からこの行為に走った可能性は高いと想像出来る。

 いくら、経営陣が燃費データ不正を知らなかったとは言っても、せめて完成車の環境性能が開発側から伝えられた際、その根拠についてはプレゼンを受けている筈だ。

 さもなければ、一方でプロモーションが出来ない。

 新車発表会の場で、如何にして燃費性能を向上させたか、について幹部が取材側に説明出来ないではないか。

 で、あるから、改ざんされた燃費性能の根拠について、経営者は開発者からエンジンでXX%、軽量化でXX%、駆動系のフリクション低減でXX%と、具体的な改良の内訳を説明されている筈だ。

 そして、各開発セクションは、経営者に説明した燃費改善の根拠となるデータを持っている(捏造している)はず。

 

 つまり、社長が記者会見で言ったように、ほんの数名の悪事によっては、燃費データの改ざんはできない。

 VWの例がそれを示している。

 VWの不正が発覚した際、日産のカルロスゴーンCEOは「多くのスタッフがかかわっている可能性がある」と当初から言っていた。

 それは、自動車の開発が多数のユニットに分けて行われており、故に、新型車の最終性能はユニットの総合力で決定されるからに他ならない。

 つまり、極論すれば新型車の性能改善は単独のユニット、チームだけではなし得ないということ。

 不正があれば、関係部署全てがそれに気がついていてもおかしくないのだ。皆、その道のプロなのだから。

 おかしいものはおかしい。それが分かるのがプロの技術者だ。

 残念ながら、三菱自動車の内部統制はガタガタであると断言せざるを得ない。

 「不正は一部の邪な思想を持った異端児が起こしたものであり、多くの社員は真面目に業務に精励している」との評論は、感情論に過ぎないかも知れない。

 恐らく、今後、多くの消費者は三菱の車には手を出さないだろう。

 

 リコール隠しの際には、三菱グループが総力をあげてこの自動車会社を救済した。

 善し悪しは別にして、さすが ”スリーダイヤ” と思わせたものだ。

 今回は、どうなのであろうか…

 この会社を救済する意義は、三菱グループとして未だ存在するのだろうか。

 私は三菱にはかかわりの無い人間なので、これについては想像もできない。

 この事件に対し「三菱にとどまらず、日本の自動車メーカー全てのブランドが失墜する恐れすらある」との危機感を表明した政府関係者もいる。

 で、あれば三菱グループとしても安易な救済処置は躊躇われるだろう。

 

 ゴルゴ13に「死闘、ダイヤ・カット・ダイヤ」というエピソードがある。

 ここに出てくる「アングロ=デ・ロアズ社」は、ダイヤモンドの産出から販売まで独占している巨大カルテルである。

 ロアズ社は、世界中で産出されるダイヤモンドを全て買い取り、一部を余剰ダイヤとして地下の金庫にストックしたり、あるいは海中に投棄することで、ダイヤモンドの希少価値を創り出している。

 ゴルゴ13は、ロアズ社の会長ソロモンの所有する1050カラットの巨大ダイヤの狙撃を依頼される。

 「ダイヤを傷つけるにはダイヤ以外になし」と比喩される地上最強硬度を持つダイヤモンドにあっても「分子凝集力の最も弱い箇所に鋭い衝撃を与えると破壊出来る」と加工職人のワイズコフは言う。

 結果、ゴルゴ13は巨大ダイヤの破壊(狙撃)に成功する。

 1050カラットのダイヤモンドが空中に飛び散るシーンは見事な描写で描かれている。

 

 日本製品のブランドを守るため、あるいは治療不可能な不治の病に冒された病巣体として、ダイヤモンドは海に棄てられるのだろうか、それとも砕かれるのだろうか…

 

 

 

 

隙をつく災厄

 故小松左京氏によるベストセラー「日本沈没」には『超広域震源地震』という超地殻変動が出てくる。

 この小説の中で、日本列島は太平洋プレートの沈降位置の激変により、日本海プレートに押され、日本海溝に折れ曲がるように沈降する。最終的に日本列島のほぼ全域が沈没してしまうのであるが、その引き金を引くのが先の『超広域震源地震』と呼ばれる架空の地殻変動である。

 これは、志摩半島から紀伊半島中央部を横断し、四国中央部を東西に走って九州中央部を北東から南西へ抜ける「中央構造線」に一斉に超巨大地震が発生するという設定だ。この超巨大地震により西日本は上下に引き裂かれ急速に水没していく。

 超広域に及ぶ断層のずれがもたらした地震の被害は途方もない規模になり、小説の中では西日本の住民200万人が一挙に犠牲になるという、史上空前の大災害として描かれている。

 この話はフィクションであり、あくまで空想の話の筈だった。

 

 2016年4月14日21:26、熊本地方にM6.5、最大震度7直下型地震が発生。

 そして、16日01:25、M7.3の地震が追い打ちをかけた。

 昨日からNHKは現地の様子を詳しく伝えるとともに、被災者を励ます放送を繰り返している。

 現地の惨状は見るのが辛い。凄まじい。

 阪神淡路大震災兵庫県南部地震)を思い出す。

 あの時も、当初伝えられた被害は大したものではなかった。しかし、時間が経つにつれその全容は明らかになり、想像を絶する被害が阪神地区にもたらされたことが後に分かった。

 あの地震断層が動いたことによるものだ。

 忘れかけた頃にもたらされる災厄…

 現地の方も、まさか熊本に大地震が起きるとは予測していなかったのではないか。

 過去を振り返るとあの地方に大きな地震が無かった訳では無い。

 しかし、多くの人々は三陸地方、関東地方の震源に気をとられていたのではないか。

 私達の気持ちの隙をついて発生するのも地震という災厄の特徴だ。

 

 警告が無かった訳では無い。

 政府の地震調査委員会が想定していた活断層震源とする地震には、布田川・日奈久断層帯も含まれていた。その発生確率は「30年以内に3%」となっている。

 これを私達は何と捉えれば良かったのであろうか…

 

 「中央構造線」は四国の中央部を走り伊予地方に至る。

 そして、その西方にある伊方、佐田岬豊後水道を超えた先に別府・万年山断層帯があり、布田川・日奈久断層帯はその延長線に存在する。

 警告はあったと受け止めるべきであろう。

 そして、熊本に起きた災厄は、いつ私達の住む地域に起きるか分からないという教訓を示している。

 日本列島は活断層に乗っかっているようなもの。

 決してひと事ではないのだ。

 

たかがバカラ…と思う

 正確な日時は覚えていないが、10数年前、私は滞在したコペンハーゲンのホテルでカジノに行った事がある。

 また、これも良く覚えていないが、ハワイかグアムで無修正のエロビデオを見た経験がある。

 ドラッグはやったことはないが、拳銃はハワイで撃った。37口径のリボルバーだ。

 ダーティハリーに習って、44マグナムを撃ってみたかったが、そのようなバケモノは何処にでも置いてあるものではないらしい。

 

 以上のことは、現地では合法であるが日本では違法行為だ。

 その事について、今でも私は罪悪感は無い。

 何故なら、日本では出来ないことであるから、わざわざ外国に行った時にやってみたのだ。

 これは、倫理的にいけないことなのだろうか?

 

 バドミントン男子のトッププレイヤー2人が、無期限登録停止、無期限出場停止になったとのこと。

 理由は、違法カジノ店でバカラをやったから。

 以前も書いたが、我が家では私以外は皆バドミントンプレイヤーだ。

 この事件については、皆、ショックを受けていた。

 「もったいない…」

 これが大凡の意見。

 彼らは、まさに日本のトッププレヤーだと私の家族は証言していた。

 で、あれば本当にもったいない。

 大概のギャンプルは、多くの国では合法だ。

 皆が大好きなUSAを例にとれば良い。ラスベガスで散財した人は芸能人、財界人、政治家、その他業界を問わず山ほどいる。恐らく、アスリートの中にも相当数いる筈。バレていないだけだ…

 何故、あの2人にあのような惨い仕打ちが必要なのであろうか。

 一罰百戒?

 私は、あの2人がそんな大した犯罪を起こしたとは思えない。

 倫理観?

 スポーツマンシップ

 コンプライアンス

 道徳心

 どの観点で、バドミントンプレーヤーの彼らを「相応しくない」と断罪出来るのであろうか。

 何に相応しくないのか…

 何が好ましくないのか…

 一体この国は、どのようなギャンブルが健全で、なにが不健全と定義したいのであろうか。

 競馬・競輪・競艇は健全で、高校野球優勝校を占うのは不健全なのか。

 私は、賭け事は嫌いだしやらないが、やった人に社会的制裁を与えることはやり過ぎだと思っている。

 一体皆、何を浄化したいと考えているのだろうか…

 世界中にファンがいるサッカーでは、トトが常識的に行われており、日本でも公営ギャンブルになっている。

 トトと、バカラの何が違うというのだ。

 いかがわしい、と言うのであればその理由を明確に説明して欲しい。

 ギャンブルをやらない私に言わせれば、世間の人々は大概何やらの賭け事をやっているはずで、皆いかがわしく不潔だ。

 パチンコの完璧なる違法を放置しておきながら、バドミントンプレイヤー2人を完膚なきまでに制裁するこの社会(バドミントン協会)に私は嫌悪を覚える。

 先日、プロ野球の賭博行為を批判した私であるが、ここまでくると逆に社会の矛盾の方を指摘したくなる。

 この行為が何を守り何を生むと言いたいのであろうか…

 

 

 

 

美ら海の国

 九州の南端、鹿児島市から南にさらに650Kmの距離。人口はおよそ142万人(2014年現在)。

 そこは、周りを海に囲まれた別世界だ。

 珊瑚礁の海がとても美しい。「美ら海」とも呼ばれる。

 下は宮城島の海。

 珊瑚礁が見える。

f:id:azuyuz:20160326100701j:plain

 

次は、瀬底島の海。

本州では見ることのできない風景だ。

f:id:azuyuz:20160326155129j:plain

 

美ら海水族館から見た夕日。

f:id:azuyuz:20160326180421j:plain

 

水族館にはジンベイザメが3頭もいる。その大きさは圧巻だ。

f:id:azuyuz:20160326172712j:plain

 

首里城。復元は今も続いている。

f:id:azuyuz:20160325145430j:plain

 

「1マイルの軌跡」と呼ばれた国際通り

f:id:azuyuz:20160325175624j:plain

 

 20年ぶりに沖縄に行ってきた。

 忘れられない思い出になった。

 ありがとう、沖縄… 

詐称もシャレのうち

 もう随分と前にTVで見たお話。

 志村けんの番組で、彼が研ナオコとショートコント(寸劇)をやる場面があった。

 研ナオコは、愛する旦那と今晩こそ子づくりをしようと、スタミナ満点の料理を作って彼の帰りを待っていた。

 それを知ってか知らずか、志村は夜遅くに酔っぱらって帰宅する。

 こんな時間まで何処をほっつき歩いていたのか尋問するナオコ。

 それをうざったいと振り払う志村。

 志村は思わず愚痴を言う。

「報道関係の仕事はな、付き合いとか色々とあるんだよ!分かるだろ、それくらい!」

 ナオコは、志村の顔に最大限接近し言い放つ。

「新聞配達のどこが報道関係の仕事じゃ!」

 会場は大爆笑。

 私もひっくり返って笑った。腑が捩れる…

 

 彼は突然、私に言った。

「ゆずさん、私、今の仕事止めて田舎に帰ることにしました。」

「えっ!また何で…」

「実家の仕事を継ぐことになったんです。これまで、兄貴(長男)がその筈だったんですが、事情が変わって」

「ふ〜ん、そうなんだ…。実家の事業であるなら仕方ないか…」

「でも、何か冴えないんですよね。」

「何で?」

事業って言ったって、実家の家業はガス屋です。」

「お米とか醤油とかも配達するやつか…」

「そお」

「いいじゃん、別に。地元密着の仕事だよ。大事なことだ」

「でも、東京で仕事している方がいいなぁ」

「…」

「ゆずさん、何かカッコいい名目ありませんかね?」

「家業を継ぐ?」

「そお!」

「…。実家のエネルギー事業を継ぐことになったってのはどうだ」

「ガスですよ?」

「ガスはエネルギーだ」

「そうですね!」

 

 彼は実家のある岡山に帰って行った。

 しかし、私は2年後、彼と友人の結婚披露宴で再会した。

 彼曰く。

「いや〜、ゆずさん、エネルギーは流行んないですね!」

 本当に楽しい人だ。今は、某上場企業の人事部にいる。

 

 経歴詐称したとかで、ショーンだか、マクドナルドだか、川上だとか言う人が世間から責められているらしい。

 MBAとかパリの何とかとか、コンサルタントとか、整形とか、色んなことをやっていたとかいないとか…ハーフなのかクォーターなのか、いや熊本の田舎者だとか…、一体何が本当なのだ?

 

 私もたまには「報道ステーション」で彼のことは見ていた。

 それまでは随分と派手な経歴だな、とは思っていたが、その内実は、ほとんど先ほどの「報道関係」「エネルギー事業」のネタとレベルは変わらないらしい。

 何だか、私は笑ってしまった。

 いや、彼はちょっと経歴を盛っただけの話だよね。私も20代の頃は先に触れたようなジョークは言っていたので分かる。

 これが、番組を全て降板するほどのことなのかね…

 これまでも、コメンテーターの顔にカメラが向く度、プロフィールが表示されるのは見ていて正直、ウザかった。

 「…が趣味」「…が得意」「…に定評がある」

 これからは、川上氏が映る度に、これまでの嘘の華々しい経歴が表示されるとともに、「これらは少し盛っています」というスーパーが挿入されるのだろうか…

 

 この騒動の背景に、番組提供側、視聴者に一種のブランド信仰があったことは否定できまい。

 そういう私も、何だか、ちょっと自分自身が恥ずかしく思ってしまった。

 「MBAでハーフで男前かぁ。羨ましい〜」

 正直そう思っていた自分が馬鹿なのだ。

 私は彼のことをそんなに悪くは思っていない。私自身が俗物なのだ。

 

 私はそれよりも、自分の芸名(本名含む)をアルファベットで書いて見せて、世界に通用する呼び名、あるいは自分は日本人ではなく外国籍人だと言わんばかりの顕示をしているミュージシャンの方が見ていて恥ずかしい。

 所詮、”TARO” と書いても日本人は日本人なのだ。

 「太郎」でいいだろう。

 それとも、彼らは、自分の真の存在を認めたくないのか… 

 日本人ではなく、外国人になりたいのだろうか?

 

 であれば、日本のブランド信仰も大したものである。

 彼と遜色無いではないか…

  

 

 

決別

 以前、ゴルフを止めた理由の一つはつまらない賭けが慣習となっていることを述べた。

 日本は不思議な国で、国が定めたジャンルの賭博は合法で、それ以外は一切が違法という制度をとっている。

 賭博を何故規制する必要があるのかという学術的な解釈にあまり興味はない。とにかく、これにのめり込むことにろくなことがないことは明らかであるので、自身の道徳心から私は賭けはやらない。

 そして、以前も触れたがこの類いの遊戯の最も煩わしく鬱陶しいことは、周りがそれをやれば自分もやらねばならないという、不愉快極まりない同調圧力があることだ。

 何度も言うが、それが嫌な人間にとってこのことは、どうしようもなく鬱陶しいことこの上ない。

 ギヤンブルにのめり込むつまらぬ人間に限って、この同調圧力を強くかけてくる。

 そして、その場は、まるで高レートの掛け金をライズする者ほど、勇者と見るような低劣な風潮が支配する。

 私は、このような空気感がたまらなく嫌いだ。反吐が出る。

 ただ、やりたい人は勝手にやれば良い。別に制止しない。

 私を巻き込まなければそれで良い。好きなだけ、散財・浪費すれば良い。

 いまさら、彼らの人間性を問うことも無い。法律違反であるが、それも訳の分からない理屈を背景に作られたものだ。合理性には欠ける。

 「射幸心を煽る」

 全くくだらない否定理由だと思う。

 花札、麻雀、パチンコと野球賭博の品性の違いなど私には理解出来ないし興味も無い。

 だから、世間というよりも、マスコミが某野球選手をタコ殴りする理屈が私には理解不能だ。

 

 某野球チームにおいては、円陣を組んだ際に、金銭授受を伴う賭博もどきの行為があったことが報道されている。

 球団側は「士気を鼓舞するため」と、苦しい・見苦しい・みっともない言い訳をしている。

 今年からチームの指揮をとるあの監督もやっていたのであろうか?だとすれば、最低である。

 今シーズンから、某チームが負け試合でベンチ前で円陣を組んだら、恐らくファンは皆「今日のレートはいくらだろう」と考えることだろう。

 あの人達は、こう思われることが、野球選手、プロフェッショナルスポーツに携わる人間として恥ずかしくないのであろうか。

 今回の一件で、彼らのいる業界が私の思う最も嫌いな風土のもとで構成されていることがよく分かった。

 彼らは法律で定義される賭博はやっていないかもしれないが、私に言わせれば、その背景・文化・コンテクストはイリーガルの世界と同じだ。

 

 あの業界は私の忌避する価値観で構成されている。

 もはや盟主でなければ「巨人」でもない。

 バットとグローブで着飾ったギャンブラーだ。

 今、某球団だけでなく、他にもその例があると言われている。

 これはプロ野球自死とも言える。

 別に業界としての浄化、再発防止は求めない。

 私はこの職業スポーツと決別する。

パソコンの神髄

 大学の研究室には、MZ-80Bが設置されていた。

 システム構成は、PC本体+8inch FDD(2台)+EPSON製ドットプリンタ。これに、CP/MをローディングしFORTRANを走らせていた。

 MZ-80は通常、内蔵されているカセットテープ装置からOS(MS-DOSではない)あるいは、アプリケーションを直接ローディングする仕組みをとっていたが、私達の研究室では、外部記憶装置としてFDDを接続する豪勢な構成をとっていた。

 当時のFDD、ドットプリンタ(ストックフォーム対応)はとても高価で、PC本体(ディスプレイ抜き)の価格と同等以上のものが少なからずあった。

 今考えると、このシステムは少なくとも70万円以上はしていたと思う。

 

 さて、この高価なPCシステムを使って我が研究室は、一体 ”何を” していたのか?

 詳しくは分からないが、磁気振動の共振現象の解析を行っていた、と研究生(同級生:OKI君と呼ぶ)から聞いたことがある。

 そのような複雑な計算を、何故、わざわざパーソナルコンピュータ(PC)を使ってやるのか?

 どうやら、私が抱いた素朴な疑問、そのものがOKI君の研究テーマのひとつであったようだ。

 大学の構内には、ちゃんと計算センタがあった。メジャーな大学ではなかったが、大型メインフレームは設置してくれていた。

 IBM3081だったらしい。

 私も計算センタのIDはもっていたので、ほんの数回であるが利用したことがある。IBM3081は当時の最新鋭機で、日本では日立、富士通三菱電機が関わった産業スパイ事件で注目を浴びたシステムだ。大学は、このシステムをTSSで運用していた。

 本来であれば、先ほどのような複雑な共振系の計算は、このホストコンピュータを用いて行うはずだ。現にOKI君以外の研究生は、皆そうしていた。

 だが、OKI君の研究テーマは「パーソナルコンピュータを用いた磁気振動〜XXX計算… 」だった。

 PCをメインフレームの代用とし、本来大型コンピュータで行っていた複雑・精緻な科学技術計算をパソコンでやってしまおうという、意欲的な取り組みだった。

 IBM VS MZ-80…

 MZ-80Bにとっては、その存在意義を示すとともに、PCという新たな技術製品の未来可能性を問う輝かしい挑戦であったと想像する。

 

 研究室のMZ-80Bは毎日、朝から夜まで黙々と計算をしていた。毎日、ただ黙々と。

 その間、実は、人間(OKI君)はすることは…ない。OKI君は日中の大半が暇だった。

 よって、彼はよく私達の研究室で遊んでいた。

 そして、夜遅くに計算結果がプリンタから打ち出されると、それを見て、うな垂れては帰っていった。

 OKI君の去った後のMZ-80Bのディスプレイには、何やら不思議な模様が描かれていた。

 私達は、MZ-80BとOKI君を横目で見ながら、「あれ、一体何やってるんだろうね」と言っていた。

 当然であるが先生からは「関係者(OKI君)以外はPCには触るな」と言われていた。

 

 しかし、ある日、ある研究生がPCの空き時間(使っていない日)を見つけて、いたずらを仕掛けた。

 先ほどから、OS(CP/M)のマニュアルを見ながら何かやってるな、と思っていたら、彼はOSの警告音(BEEP)パラメータを書き換えていたのだ。

 いつもは、JOB ABENDの際には「ピロ・ピロ・ポ!」と発するMZ-80Bが、ある日以降、「ピロ・ピロ・ピロ・ポ、ピロ・ピロポー!」と言うようになったのだ。

 これには、同室にいた研究生達はビックリし、その後大笑いした。

 彼が書き換えたBEEPパターンがかなり奇天烈な音を発したからだ。

 MZ-80Bは、朝から晩まで黙々と仕事を黙ってこなすだけだ。

 彼が声を上げるのは、ALEART、あるいはJOB ABEND、すなわち「不具合」があったときなのだ。

 その時にPCが発するBEEPが、ひょうきんであれば、それはそれでかなり面白い。

 OKI君はPCの前でJOB ABENDメッセージを見て呆然と立ち尽くすのであるが、それを知らせる警報音は、とてつもなく人をバカにしたような面白おかしい音声だった。

 私達はしばらく大笑いしていた。

 OKI君は、計算結果がでるまでひたすら待っている。

 松田聖子の歌を流したり、コーヒーを飲んだりして時間が過ぎるのをひたすら待っている。

 そして、10時間近く経って、「ピロ・ピロ!ピロ・ピロ!ピロ・ピロ・ピロポ〜!」の音声とともに「ジョブは異常終了しました…」と印字されたシステムメッセージをプリンタ用紙から読み取る。

 これを毎日やるのはけっこうキツイ。

 心が折れる

 一体、IBMのホストコンピュータを使っていれば、OKI君の研究はいつ頃終わっていたのだろうか…

 彼は私達と一緒に卒業した。

 研究は無事成就したのだろう。

 MZ-80Bもよく頑張った。

 私達はいつしかMZ-80Bに感情移入していたのかもしれない。

 

 一度、研究室に個人所有のPC-8001、FM-8を持ち寄ってMZ-80Bを交えたベンチマークテスト(簡単な科学技術計算)をやったことがある。

 結果は、MZ-80Bの勝ちだった。

 理由は想像であるが、結構シンプルかもしれない。

 MZ-80B以外は、ROM内蔵のMS-BASIC。MZ-80BはRAMにロードされる自社製BASIC

 ROMよりRAMの方がアクセスタイムが短い(速い)のは当たり前。

 MZ-80Bは、より速いストレージ上でアプリを走らせるという、正当な利用技術を用いている。まず、前提としてROM読み出しのマシンより速いのだ。

 CPUは、FM-8がMC6809、それ以外はZ80との違いはあるが、まあそれはそれ。私達は、性能はほぼ互角と捉えていた。

 (当時、CPU単体で比較すれば6809の方が速いのではないか、と言う評論はあった)

 MZ-80Bは、高性能でデザインも抜群。値段も高すぎることは無い。

 素晴らしいマシンだった。間違いなくPC史に残る名機であったと思う。

 

 ホストコンピュータの機能を個人に提供する…

 ”パーソナルコンピュータ” という名称がそれを意味するのであれば、MZ-80Bは紛れもなくその魁であった。

 目のつけどころは鋭かった。

 SHARPには、パソコンの神髄を味わせてもらっている。

 

 さらば、シャープ。