オリオン座が沈む窓

azuyuz captain's log〜”ゆず”艦長の航海日誌

ケプラーの執念

 牡丹餅(木星土星大接近)の裏話。というか、このシミュレーションを可能にしてくれた偉大な天文学者の話。

 ご存知の通り、天空の星座間を右に行ったり左に行ったり不思議な運行をする惑星たちが私たち地球とともに、太陽の周りを回っていることを周知したのはポーランド出身の天文学者コペルニクスである。

 イタリアの天文学者ガリレオは、彼の見立てをもとに、自作の望遠鏡により本格的な天文観測を行なった最初の科学者である。彼は、小さな望遠鏡(8倍くらいだったとか…)を木星に向けた。

 その際、彼が見た4つの衛星は今でも「ガリレオ衛星」と呼ばれている。

 ガリレオは巨大な惑星を周回する4つの小さな月を見て、コペルニクスの天動説を確信したという。

 地球よりはるかに大きい太陽が、地球を周回するのは不自然だ。小さいものは、大きなものに従う…。彼はそう直感した。

 この衛星、私が普段使う望遠鏡(20〜40倍)でもはっきりと視認する事ができる。

 さて、コペルニクスが世を去ってからおよそ60年後、天動説と実際の観測数値を一致させる数式を発見した(編み出した)天才(!?)がドイツに現れる。

 ヨハネス・ケプラーだ。

 彼は3つの法則と方程式を世に問うた。

①惑星の公転軌道は楕円を描く

②惑星と太陽を結ぶ直線は、一定の時間に等しい面積を描く(角運動量保存の法則)

③惑星と太陽の平均距離の3乗は公転周期の2乗と比例する

 

 そして…、惑星の平均近点離角Mと離心近点離角Eの関係は次の式で表されるという。

 M= E - e・sin E

 

 平均近点離角M、離心近点離角E、真近点離角vの関係は下図の通り。

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M、Eとvの関係図

 

 地球から見た時の夜空の惑星の位置は、真近点離角vを各種の座標系に変換する事で得られる。平均近点離角Mは惑星の平均角速度、離心近点離角Eはケプラーの法則②から得られる仮想円の角度だ。

 Sが太陽。P(X、y)が惑星位置。Aが近日点(惑星が太陽に最も近づく地点)である。

 eは楕円の離心率。

 日常的には使い慣れない概念であるが、一言で表してしまうと楕円の扁平度を示すもの。

 e<1 であるが、1に近づくほど、楕円は円を上から押しつぶしたように横長になる。一方、0に近くほど真円に近づき、楕円の方程式にe=0を代入すると円になってしまう。

 実際には、eの実測値はどれくらいかというと次の通り。

・金星 0.0068

・火星 0.0934

木星 0.0485

 これ、実際に我々の視認レベルで図を描いてみても、ぱっと見はほとんど円である。

 なので、MとEはそんなにべらぼうに離れた数値にはならない。

冥王星がかなり大きな数値で、0.249。これはかなり歪だ。現に彼は一時期、海王星軌道の内側に入り込む時がある。

 この図から分かるように、惑星の平面位置Pを求めるには、楕円の長径・短径、離心率、日次運動量(平均角速度)と移動時間量が把握できていれば良いことになる。これらの数値は全て軌道要素に含まれている。

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2021年1月1日から200年間の太陽系惑星の軌道。冥王星に注目

 

 さて、素朴な疑問。

 ケプラーは①〜③の法則をどうやって見つけたのであろうか?

 ①は直感かもしれない。

 いや、これ、後付けでは何とでも言えるが、それまで誰も気が付いていなかった。当時の天文学者・数学者の誰もが惑星は円軌道だと考えていた。

 だから、惑星が逆行する理由がどうしても説明できなかった。

 ケプラーの師匠であるチコ・ブラーエですら火星のフラフラした動きの理由が分からなかったのだ。

 チコは、当時としては驚くほど正確な火星観測を行なっていたが、円軌道をベースに火星の軌道を計算しても、どうしても観測値と一致しない。

 これは、火星の逆行が無くても同じ事だった。順方向に運行していても、いつの間にか計算上の位置とは異なる場所に火星はいる。

 どうやら、惑星はスピードと軌道を変えながら動いてるらしかった。

 「そんなバカな!」と当時の学者達は考えたと思う。

 一体、宇宙を支配している力とは何なのか?

 真面目に考え始めたら、そりゃ夜も眠れないことと思う。

 そして②の意味すること。

 楕円軌道上を動く惑星の描く面積が、経過時間が同じであれば等しい、ということは、ざっくり言って太陽の傍では平均よりも早く、一方遠方では平均よりも遅く動いていないと同面積にはなり得ない。

 『?』である。

 何で、早くなったり遅くなったりするの?と皆感じたことだろう。

 そして③。

 当時の惑星は9つでは無く、6つだ。天王星以遠はまだ発見されていない。

 恐らくケプラーは、具体的には火星と木星の軌道からこの関係を見出したのだと推測する。

 遠い惑星ほど、ゆっくりと公転する、とケプラーは言っている。

 

 さて、方程式をもう一度見てみる。

 M= E - e・sin E

 形はシンプルであるが、何とも不思議な関係式だ。

 この式は、PとP’の位置関(x,y)、(x,y')を表す式に、②の角運動量保存の法則を当てはめないと導き出せない。

 また、難儀であることに、この方程式、解けない。解はある、当然。

 しかし近似値となる。

 コンピューターどころか、微積分法すら存在しない17世紀初頭にどうやってこの関係式をケプラーは導きだしたのか?

 

 どうやら、大きな紙に数年間の火星軌道をプロットし、毎日の動きの変化量を算出したらしい。

 そして、火星の平均的な日次運動量と実際の移動量の軌跡から「面積速度が一定になる!」という関係式を見出したようだ。

 何という気の遠くなるような作業だろうか。

 執念の男、ケプラー

 ちなみに、③の法則も同じようなことを延々とやり続けないと結論には至らない。様々な代数式をいくら駆使したら、この2分の3乗法則に辿り着けるのだろうか。

 これは天才!というよりも、”執念”と表現するしかなかろう。

 天才はニュートン

 ③の式は、実は万有引力の数式と実は等価である。

 ニュートンはシンプルに記述した。

 「惑星運動を支配する力は2体の距離の二乗に反比例する」と。

 ニュートンは、二次曲線(円錐曲線)の特性を熟知していた。

 物質の重さに比例し距離の二乗に半比例する力と、大きな物体の周りを小さい物体が回転する際に生じる遠心力が釣り合う軌道は楕円になる、という事実を。

 

 ケプラーは偉大だ。

 彼の方程式がなければ、はやぶさ2も「リュウグウ」には行けなかったし、帰還する事も叶わなかった。彼の理論は、実用式として現代でも立派に役立っている。

 しかし、彼の3法則算出の元データは、実は彼の師匠であるチコ・ブラーエによって観測されたもの(火星軌道)だ。

 チコちゃんの残した膨大な火星観測データ無しでは彼の偉業は達せられなかったのは間違いない。

 だから、ケプラーは疑われたらしい。

 「チコを毒殺したのはケプラーじゃね?」と。

 つい最近、チコの遺体調査が行われた結果、彼の亡骸から「毒物」は発見されなかったとの事。

 とんだ濡れ衣である。

 ガリレオケプラーも名誉回復に400年を要している。

 まさに天文学的数値だ。