不都合の顛末
年末年始にかけて、3つの不都合・不具合が発生した。
1.天体望遠鏡の破損
2.カラープリンターの印刷不良
3.Macのメール障害
である。
何とも頭が痛かった。
一つ目、天体望遠鏡の不具合とは、鏡筒では無く土台となる三脚の部分。3本ある足をお互い繋いでいるアームの付け根部分が割れて離れてしまったのだ。
そもそも三脚は、収納時に折りたためるようになっており、3本の足を開いた時に安定して立脚させるため、各々が蝶つがい付きのアームで繋がれている。
これが1本、ブラブラになったものだから、どうも安定しなくなった。
使えないわけではなさそうだ。
足を広げたら何とか頑張って立ってはいる。しかし、心許ない。少しでも押したらバタンと倒れてしまいそうだ。
それに、3本の足を均等に伸ばしていないと土台が傾いている。
1本でも自在に動いてしまうと、微妙に全体が傾いてしまう。
この三脚は、経緯台ではなく赤道儀を接続するタイプのものであるため、鏡筒を支える部分は分厚い金物で出来ており、また安定用のバラストが付いているため、全体としてはすこぶる重い。
測ったことはないが、恐らく10Kg以上はあると思う。
この望遠鏡は、しばらく、使っていなかったので、ローゼットの中に畳んでしまっていたのであるが、その中で色々と揺らされている間に自重に耐えきれず、最も強度の弱いプラスチック製のヒンジ部分で折れてしまったらしい(この部分以外は全て金属)。
かなりショックだ…
しかし、これは、私が悪い。
不注意であった。
秋口にこの不具合に気がついた(例の牡丹餅観察がきっかけかもしれない)のであるが、特に手を付けずに放置していた。
かなりの間、触っていなかったので正直、気持ちもここから離れていた。
しかし、年末に経緯台付きの望遠鏡で木星・土星を見てから、何だかこの子が無性に不憫に思えてきた。
「何とか、ならんものかなぁ…」
年賀状を書き終わり、大掃除も済ませ、後は長女・孫達の帰省を待つだけになった暇な年末に、傾いた望遠鏡を目の前においてじ〜っと見ていた。
こんな重いもの載せるんだから、プラスチック部分を如何なる接着剤を用いて繋いでも無駄だろうな…と思っていた。
割れた口をよく見てみると、アーム自身は意外と厚みがある。3〜4mmはありそうだ。
これ、ひょっとしたら折れた部分に金属プレートを当ててボルト・ナットで止められるんじゃないか…
折れた骨に当て木をするのと同じ方法だ。
色々と細部を寸法してみると、直径4mm、長さ12mmくらいのネジで留められそうだった。
「やるだけやってみるか」
私は、ホームセンターに車を飛ばし、測ったサイズのボルト・ナットとリング・ワッシャーを2組買ってきた。
当て木に使う金属プレートは、たまたまであるが工具箱の中にこのアームとぴったりサイズのものがあった。
何に使うものかはわからないが、ともかくこの企みにぴったりのサイズだった。
割れてしまったプラスチック製のアームの両端にドリルで直径4mmの穴を開けた。
慎重に当て木を添えてドライバーでボルト締めする。
上手くいった !!
望遠鏡の三脚は見事に復活した。
取り敢えずの処置ではあるが、ある程度の耐久性は期待できそうだ。大事に使えば、まだまだ行けそう。
実は、この望遠鏡はもう使えないから、年が明けたらリサイクルショップに持ち込もうかな、と考えていた。
正直言って、赤道儀は重くて使い勝手が悪い。
先日の様に、惑星を観望するだけなら経緯台付き望遠鏡の方が圧倒的に使いやすい。見たい場所にポンとおいて、目標とする空へ向けたらそれでOK。
赤道儀はそうは行かない。
極軸合わせ、コントローラセット、アライメント調整、と儀式は長い。
私は、足の折れた望遠鏡を見捨てようとしていた。
しかし、そうしなくて良かった。
彼は復活した。蘇ってくれた。
形式は古くなってしまったが、またまだ、行ける。
今、彼は物置ではなく、私の狭くなった部屋(在宅勤務用に部屋を模様替えしたため)に鎮座している。
しばらく、ここにこのまま置いておくことにする。
必要以上に部屋が狭くなってしまっているが、別に構わない。
こうして、毎日彼を見ていると、観望意欲が不思議と湧いてくる。
今年は、何年かぶりに、天体観望をやってみようと思っている。
今、太陽と惑星たちの出没時刻計算をするプログラムを作っている。
これが、完成したら、また、彼と趣味を嗜もう。
彼とは、古い付き合いだったのだ…
残り、2つの不都合は後日…