オリオン座が沈む窓

azuyuz captain's log〜”ゆず”艦長の航海日誌

悪手が生む最適解

 昨晩、総理会見があった。

 今週の月曜日から全国の小中高校が休校になるとのこと。

 今、日本全国を社会不安に追い込んでいるコロナウィルスの封じ込め策の一環である。

 これまで、

厚生労働大臣に対策を丸投げ」

「対策が後手後手」

「思い切った有効策を打てていない」

等、散々な言われようであった総理が下した、ある種 ”英断” かも知れない。

 いまのところ、”愚策” との評価が優っている感はあるが。

 今回の施策の優劣・評価には、あと数ヶ月はかかるだろう。

 とにかく、早く終息してほしいものだ。

 

 一方で、全国のドラッグストア、スーパーからトイレットペーパーが無くなったそうだ。

 50年前(1970年頃)のオイルショック時の「買い占め騒動」を思い出す。

 あの時、店頭から無くなったのは、トイレットペーパーだけでは無かった。何故か、歯磨き粉や洗剤、ごま油など、日常製品の多くが買い占めにより私たちの前から姿を消した。

 物価は、とんでもないスピードで上昇し、「狂乱物価」とまで言われた。

 買い占めによるモノ不足のきっかけは、電車の中での女子高生の会話だと今は言われている。

 「ねえねえ、知ってる?」

 「何が?」

 「中東での戦争のせいで石油が入ってこなくなるから、トイレットペーパーが無くなるんだって」

 「大変、今の内に買っとかなきゃ!」

 真偽は不明であるが、大凡この程度の会話…。

 今、考えればバカバカしい話だ。

 しかし、インターネットがない時代の話であるにもかかわらず、この噂、デマはあっという間に日本全国を駆け巡った。

 それは恐らく、光の速度よりも速かったに違いない。

 アインシュタインは間違っていた。

 実は、光速を超えてのコミュニケーションは可能だったのだ。

 止むを得ない。

 そもそも、量子力学を否定していた彼には理解できないことだ。

 大阪の阪急電車で交わされた女子高生の会話と全く同じ内容のデマが、恐らく函館と京都の路面電車の中の主婦同士間で発生していたのだ。

 この事象は、量子力学の世界ではあり得るが、彼の提唱した相対性理論では説明できない。

 ガリレオニュートンもお手上げであろう。

 JK、恐るべし。

 あの買い占め騒動の中で、漁夫の利を得ていたものは多く存在する。そして、今回も然り。

 ネット上に有能な転売システムが溢れる現在、狡猾・邪悪な輩に騙され、出し抜かれる正直者・マヌケは50年前と同様に大量発生すると想像する。

 そもそも、品薄になるのは買い占めをすることが原因だ。

 一旦、商品が姿を消したことで不安に駆られた人達は、さらにお店に殺到する。

 すると、入荷された途端に必要以上の買い方がなされるため、ますます品薄になる。

 やがて在庫が尽きると、本当にモノはなくなる。一定期間ではあるが。

 そして、そこに転売ヤーが発生し瞬く間に増殖する。

 この循環は、いくら止めようとしても止まらない。どうしようもない。

 

 東日本大震災の時も、一時的に米が買い占められ店頭から姿を消した時があった。

 そのとき、私の妻は平然としていた。

 「どうする?」

 「家にしばらく食べるだけのコメはあるよ。買いに走るほどのことはないわ。もし無くなったら別のものを食べればいいじゃん。缶詰なら山程あるわ。」

 「ガソリンスタンドにも車の列ができてるらしい」

 「ガソリンがなくなったら車に乗らない。そのうちに何とかなるでしょ」

 「みんな、焦ってるのか。不安なんだな。」

 「そんなに焦っても、心配しても、どうしょうもないじゃない。なるようにしか、ならないわよ」

 あの時の妻は、肝っ玉が据わっていた。頼もしかった。

 「家のことは彼女に任せよう。私は私の考えられること、やれること、やるべきことをしよう」

 私は食料のことよりも、万が一の際、どうやって家族を取りまとめてこの地を離れるかを考えていた。その時の私は、福島原発のことが気になっていた。

 大阪に住む姉は「いつでもこちらに避難してきていいよ」と言ってくれていた。

 ・・・

 

 先週の金曜日、彼女が叫んだ。

 「ねえねえ、スーパーに行ったらトイレットペーパーがないの!何で?!」

 「ああ、コロナ対策でマスクを量産するから原材料が不足し、そのとばっちりでトイレットペーパーが無くなるってデマをSNSで飛ばした輩がいるらしい。政府やメーカーはデマだから買い占めするな、って騒いでる。」

 それを聞いて、妻は大笑いした。

 そうか、やはり彼女には愉快・痛快なことのようだ。

 彼女は、ボソッと言った。

 「こないだ、コストコで山ほど買ったんだよね。たまたまだけど…」

 

 話を一斉休校に戻す。

 総理の要請は無理筋、悪手…かも知れない。

 しかし、良い面が全くない訳ではない。

 いくつかの地方自治体では、休校自体を見送ったり、時期をずらす、あるいは地域を限定する動きが出始めている。

 共働きやシングルの親を支援するため、子供を学校施設で預ろうとする動きもある。

 各々が、地域社会の実情を踏まえて、考えうる最適手段を探し始めているのだ。これは凄く良い事だ。

 今朝のNHKの討論番組を見ていても、野党は施策の有効性・エビデンスを問うている。

 専門家の意見も聞かずに、独断専行、唐突な強行施策を打った、と責めている。

 総理は、

「あなた方の賛意をもらうためには、専門家会議を経て多くの意見を取り纏めた上で、絶対間違い無いとのエビデンスを得た施策でないといけない。それでは思い切った(極端な)施策は打てない。この1〜2週間がヤマだ。そんな時間はない。」

と考えたのだ。

 恐らく上記のプロセスを取ると、賛否両論、総論賛成・各論反対となり議論は沸騰、国会が空転する、との悲観的ストーリーも考え得る。

 だから、彼は先手を打った。

 良し悪し、有効性評価を考慮せず。

 そして、それがきっかけとなり、各自治体は、有効的な具体的施策は何か、自分たちにとっての最適解は何か、を考え導き出そうとしている。

 総理が決断せずにいたら、責任を逃れたいがために、国からの指示を首を長くして待っているだけの無能な指導者もいたかも知れない。

 今回は、各自が自らの責任で行動を取ろうしている。これは、これでいいことだと思う。

 最悪の手段を既に提示されているので、それよりも最善の施策なら出せる。考えつく。

 

 悪手が最適解をもたらすこともあるのだ。