日常とは…
ほぼ1ヶ月ぶりのブログ更新である。
少し間が開いたが、そりゃそうだ。書くことが見当たらないからだ。
首都圏における自粛要請は解除されたが、承知のようにコロナが根絶された訳ではない。よって、無用にあちこち飛び回る気には到底なれない。
休日になっても、どこかへ行くわけでもない。それは、妻も同じ。
「やること、ないね〜」
「暇だね〜」
「何か食べに行こうか?」
「もう大丈夫かな〜」
こんな感じだ。
近所の人気ラーメン店にすら行く気になれない。この消費マインド低下は重症だ。
ただ、お金はそう使わないので貯金は少し増えた。
そう言えば、手続きからおよそ1ヶ月後に定額給付金が振り込まれたが、妻と久しぶりに焼肉を食べに行って、1万円使っただけで、あとは手をつけていない。消費はもうそれっきり。
もう少し経ったら、長男夫婦と三島の鰻屋(桜屋)に行こうと約束している。おそらく、それまで大型消費は自粛、だ。
人って、何もしなくても死にはしないが、何もしないとストレスになることを学んだ。
妻にも同じことを言われている。
だから、こういう時ほど、夫婦の会話が重要なんだ、とも。
妻には、在宅勤務も結構であるが、やはり、お互いこれまでのように各々の、それらしい生活パターンが大切だ、とも言われた。
こんなの「不自然だ」と。
確かにそうかもしれない。
今のは、違和感のある生活だ。
本来は、こんなのじゃない。
元に戻りたい…
都内の感染者が先週から100人を超えた。
「夜の街」が批判の対象になっている向きもあるが、北海道では「昼のカラオケ」でクラスターが発生しているようだ。
若い人たちの感染比率が高い、と注目されているが、だからと言って若者だけが批判されるのはおかしい。
老人だって好き放題やって感染を広げている。皆、同じ。
若い人たちは、感染に無頓着に見える時があるが、それは「重篤化しずらい」との情報が散布されたのが遠因だと思う。
死に至るケースが少ないと見られているから。本当のところは知らないが。
私に言わせれば、皆、等しく迷惑をかけている。
ソーシャル・ディスタンスを無視しているのは、圧倒的にジジイだ。
奴らはとにかく無神経。
私は、何度もジジイに近寄られたことがある(密着するくらい)。
奴らは、マスクをしているだけであとは何も考えていないようだ。
あと、通勤電車は「密」で要注意であるが、あの密集の中でベラベラと大声でお喋りしているのは、学生を除けば、圧倒的にオバハンとババアだ。
皆、菌を拡散している自覚に乏しい。
だから皆等しく同じだ。
マスク警察とやらもいるらしいが、バッカじゃないか、と思う。
ニュー・ノーマルまでの道のりは遠い。
皆、ノーマルに慣れているない。戸惑っている。
はて、
「ノーマル」って何だっけ?