史上最大の引越し
人生の中でこのようなイベントは初めてだった。
今回の引越しは、むちゃくちゃ大変だった。
藤沢の自宅は2階建で5LDKだった。
そもそもは2世帯住宅(1階は両親、2階は娘夫婦。台所も2つあった)だったものを転売するときに改装し、今の1世帯向けの間取りにしたそうだ。
でっかい事はいい事なのだが、部屋数が多い分長年にわたり購入してきた家具類、備品は相当な数に及ぶ。
人とは面白いもので収納スペースがあればその分モノを購入する。我が家には結婚し退去した長女・長男の置物を含め莫大な数の備品があった。見積りに来た廃棄業者の方が驚いていた。
この大量の家具・備品を一体どこに退避させればいいのか?新居が建つのは9月末だ。ここは4月中に引き払わなければならない。約半年間、妻と私がどこに住むかも含めて考えなくてはならない。
仮の住居を確保する必要がある。それも結構な大きさの。
もう一つ問題。
仮住居はペットも入居可能でなくてはならない。
…
ワンコ2匹。ニャンコ4匹…だ。あと人間2人。
昨年の10月末に一度秋田に行き物件探しをしたことがある。
半年間だけ借りたい!
→短期を貸主は嫌がる
早ければ3月頃の引越しになるかもしれない
→その時期は最も賃貸物件が動く頃。移転日は早く決めた方がいい。早く決めておかないと優良物件はなくなる
犬と猫ちゃんが数匹いるのですが
→ムリ。そんな物件ない。
…
実は妻と私は昨年の秋の段階で計画実行の難易度を実感していた。もし、この家の購入者が現れたとしても新居が完成するまでの間どうする?
ハードルはあまりに高かった。
これといった方策を思いつかないまま年が明けた。
年末に仲介業者の方が「広告を出して2ヶ月経ちましたので売買希望価格を少しいじりませんか?年末年始は物件が動く時期なんです。」との提案をしてきた。
「何でこの時期に動くのですか?」
「年末年始に実家に帰ったときに親子間でそろそろ家を買うか、って話題になるんですよ」
「なるほどね。分かりました」
私は売買希望額を下げた。そもそも価格をある程度下げる事は想定していた。着地点は別に持っていた。
年明け早々、購入希望者がいる旨、仲介業者から連絡があった。
まさか…ホントに?
自分たちの移住環境が未整備のまま事態は動いていた。
私たちが思うよりも急速に。
最後の転居
4月末に引っ越してから2ヶ月近くが経った。
久し振りの一人暮らしをしている。
妻とは離婚したわけではない。別居しているだけ。
これは、私たち二人にとっては終の棲家を得るまでのプロジェクト。
プランは10年以上前からあった。
着々と練っていたとは言えない。
ひょっとして二人とも忘れていたのではないかというほど、その会話をしないこともあった。
事態が大きく動き始めたのは1月。
藤沢市の自宅に買い手が見つかったのだ。
自宅はほぼ当方の希望していた金額で売却された。
建家は35年近く前のものだったので土地だけ売った形になった。
5月末に長男が売却した自宅跡を見に行ってくれたが、既に相当部分の取り壊しが終わっていたとのこと。
秋口にはあの若いお二人(ご夫婦)の立派な邸宅が出来上がっていることだろう。
私は東京での仕事が数年間残っているので埼玉県に転居した。
今はそこから会社に通っている。とは言っても2回/月程度。大半は在宅勤務だ。
藤沢の自宅を売った資金でもって妻の実家を建て直すことになった。
6月中に取り壊しは終わった。
地鎮祭は既に終えた。
9月末にはそこに新居が完成する予定だ。
場所は秋田市…。
私は大阪市に生まれ、そこで育ち、就職で横浜に出た。
ざっくり言って横浜に10年、藤沢に30年住んだことになる。人生最後の地は秋田だ。
この話を友人・知人にすると大層驚かれた。
そりゃそうだろう。
私も予想していなかった。
妻は友人宅で仮住まいをしている。
犬・猫ファミリーも一緒だ。
秋田では3年ぶりに竿燈まつりが行われるとのこと。
一度行ってみようと思っている。
首都に雪の降る日
世界的感染症の終息を見る事なく2022年は明けた。
今年も人類とウィルスの戦いは継続する。
それに関連する人間同士の衝突もだ。
さて、首都圏では新年早々に雪が降った。
1月6日。
その日、たまたま私は在宅勤務を解除し会社に出ていた。前日の天気予報で積雪の可能性(数センチ)が広報されている事は知っていた。
いつもであればさっさと仕事を終え、そそくさと家路につく私であるが、その日は事情が違った。以前から築地のレストランで同僚と食事をする約束を立てていたのだ。
これは、年内に企画し同僚の同意を得てレストラン予約を済ませていた事案であるので、降雪などは当然予測・予定していない。それも東京都区内での天候の行方のことだし。
その日、天気予報はものの見事に的中し朝から雪がちらついていた。
予報では雪は昼頃から少し多くなるが夕方には止み、その後はお天気回復というものだった。しかし、お昼過ぎからの空の様子を見ていて明らかに天候が予測とは異なっている事を自覚した。
私は昼過ぎ、窓の外を見ながら一緒に夕食をとる予定の同僚の一人を呼んだ。
「どう思う?この雪…」
「ああ、今日の夕食会のことを気にしているんですか?止むかなぁ。」
窓の下を見ると近所の高層マンションに住む子供であろうか。小さな男の子と女の子が雪だるまを作っていた。
私は微笑みながら呟いた。
「この雪、止まないな。予約したホテルは築地駅から10分程度あるんだ。歩けると思う?」
「やばいすね。皆ビジネスシューズでしょうから。」
「諦めるか…。怪我覚悟でやるもんじゃないし。」
「また、今度にしましょう。」
私は14:00頃にはチームメンバに帰宅命令を出した(夕食会中止も)。そして私も15:00過ぎには事務所を出て帰宅についた。
本社から帰宅指示の通達が出たのは16:00頃だったようだ。
この後、東京に何が起きたのかはニュースで見た通り。
まあ、そんな大層なことでは無かったが。
天気予報では都内での積雪は3cm程度と言っていた。
だが、気温によっては雪はさらに多くなるのは常識。私たちの予測と判断は結果として正しかったということになる。
あの雪の中、都内を普通に歩く事は無理だ。それなりの対策をしていないと雪道に慣れていない人は酷い目にあう。
案の定、当日と翌日に多くの方が転倒し負傷したようだ。
SNSでは雪に弱すぎる首都をディスるジョークが乱れ飛んだらしい。まあ、お愛想だろう。
しかし、雪で立ち往生する車が続出、あちこちで事故が発生するなどし道路閉鎖が相次いだ。その日から翌日にかけて、首都の道路は機能しない箇所があちこちに発生していた。
これはいただけなかった。
積雪の予報は出ていたのだ。
「こんなに降るとは思わなかった。」
責められるべきは先のような発言をする輩だろう。じゃあ、一体どんだけ降ると思っていたのだろうか。
北国の人たちから冷やかされて恥ずかしいと思うべきは首都機能の弱さではない。自分たちの予測と見通し、対応力の無さだろう。
降雪対策として、年に一度降るかどうかわからない雪のために首都圏のインフラを再構築するなんてあり得ない。
この場合のリスク対策は「受容」だろう。受け入れるしかない。その上でマイナスの影響を最小限に抑える選択をするのだ。
結論としては、雪が降るかもしれない日に「車を出す」行為がダメ。
通勤は車ではなく電車、だ。
物流はどうする?
難しい判断になるがドライバーには事前に冬用タイヤに替えておいてもらうしかない。
しかし、長距離トラックの運転者にはやってられない事とは思う。なんせ、積もるかどうか分からない訳だから。
わざわざ、冬用タイヤに替えて雪が降らなかったらどうしてくれんじゃい、って事だ。
まあ、せめて首都圏のドライバーだけは予報が出ているのだから事前の備えはしておくべきでしょ。
なんかあったら「こんなことになるとは思わなかった。」とよく人は言うが、それは「何も考えてませんでした」と同じ。誉められた発言ではない。
自分が予測したよりも結果の方が酷すぎた、なんて言い訳にはならない。
さて、次に首都に雪が降ることに備えて次のことを認識しておこう。
・雪掻きをしていない道は避けたい。降った次の日は路面が凍結している。日陰を歩くときは要注意。
・雪道を歩く際は前の人の足跡、轍に沿って歩く。
・雪が降っても電車は動く。バスも動く(車重があるので少々の積雪は平気)。だがタクシーは微妙。大変なのは駅から自宅までのラスト1マイル。雪が積もる前に帰った方が安全。
・こちらではあまり種類がないとは思うが冬用のビジネスシューズは用意しておきたい。雪国の方々は通勤用のブーツを使っている。こっちでは少し恥ずかしいが…
・雪の日に傘は無意味。フード付きコートとニット帽。
・スタッドレスタイヤを履いていないのであれば、そもそも車は使わない。新雪の上ではノーマルタイヤでもある程度は走れるが積雪5cm以上になればもう危険。進まない、止まらない、曲がらない。
・降った翌日はさらに危ない。アイスバーンを的確に判別し、やり過ごす技術・自信のない人は絶対に運転してはいけない。止まらない車ほど危険で怖いものはない。走る凶器。
・ABSを過信してはいけない。雪道を安定的に走行するには経験による”慣れ”しかない。
・北国の人がよく口にする格言。「雪道でブレーキを踏んではいけない。」
→踏まないと止まらない。ポンピングしろと言う意味。
・同じく「軒下でボ〜っとしていると命の危険がある」
→屋根から雪が落ちてきて怪我をするらしい。
・この間妻が言ってたこと。「パウダースノーなんて北海度だけ。東北では山の上だけだよ。地上はベタベタ。」(私にすればパサパサなのだが)
・以前妻が言っていたこと。「なんでウチの家の前は3日に1度しか除雪車がこないの?」(田舎の中のさらに田舎だから)
・一般的にFRよりもFFの方が雪に強いと言われている。私は箱根ターンパイクでスカイラインが意図せずドリフト(回転)しているのを見たことがある。その後をカローラは平然と走って行った。FRとFFの違いが分からない人は、やはり雪の日に走ってはいけない。
・四駆であればノーマルタイヤでも平気と思っている人もいるがそれもほどほど。オールシーズンタイヤであればある程度は走れるが、やはり限界は早い。オールシーズンとスタッドレスでは比べものにならない。
・四駆といってもやはりFFとFRはある。パジェロやランクルのようなベビーデューティーはFRであるがSUVの中にはFF派生のものもある。四駆であってもチェーンは駆動輪に巻かないとダメよ。
・当たり前だがチェーンは練習しないと巻けない。走行中に緩んだり外れたりすると酷い目にあう。
・この世で恐らく最も早く雪道を走るのは、雪国の農道を走る軽トラック。
・雪道を歩く美しい女性の中には雪女が混じっているので要注意。
・雪女は分厚いストッキングは履かないので見分けはつく。
手のひらを空へ
12月に入ってからすこぶる天気の良い日が続いている。
この1週間も寒くはあったが日中は快晴だった。
毎朝、ワンコ達を連れて散歩をしている。時間にして40分程度、3Km程度の距離。在宅勤務による運動不足対策の一面もある。
12月になって日の出も遅くなっており、空が明るくなり日差しが射し始めるのは7時少し前。この時間帯を中心に散歩を考えないとやはり寒い。
日差しがあるかないかで体感温度は相当に違う。ワンコ達には関係ないようであるが…。彼らはいつも元気一杯。
2匹を連れて散歩しているとありがたいことに通りがかりの人に「可愛い〜」と言ってもらうこともある。これは親バカのように嬉しい。犬バカ?
さて、うちに帰ってくる時間は凡そ7:30〜7:40であるが、7時過ぎに北の遠くの空にポツンと飛行機が飛んでいるのが見える。
姿は小さいのであるが天気が良いのではっきりと見える。
毎朝見ている間に「あの飛行機、どこら辺を飛んでいるのだろう?」と考えるようになった。
心当たりはある。
恐らくあれは羽田〜福岡便だ。
私自身がそれに乗った際に、自分の住む地域の上を飛んでいるのを機上の窓から見たことがある(近所に大きな目印があるので分かる)。
この路線は羽田空港をテイクオフした後、東京湾を大きく右旋回し神奈川県の藤沢、厚木付近を横切り、静岡/山梨の県境上空を突っ切って飛んでいく。途中でちょうど富士山の真上を飛ぶ。
この時の窓からの景色は絶景だ。九州に行く際には左側の窓側座席を取ることをお勧めする。
私がよく使っているのは、福岡空港に10:00〜11:00頃に到着する便。時刻表で調べてみるとJAL307かJAL309便になる。
この路線はドル箱であり比較的大きな飛行機が機種選択される場合もある。ボーイング737-800だと座席数160人とやや小ぶりであるが、エアバスA350-900だと300人以上を乗せて飛んでいる。
私が毎朝見ているのは恐らく時間帯からも羽田7:00発JAL305便ではないかと思う。機種はボーイング767-300。全長55mとのこと。
この大きな機体が随分と小さく見えているのであるが、どれくらいの大きさかというと視直径で0.3度くらい。
なんじゃ、その大きさ?
意味が分からん!
となりそうだが、ちょっと待って。誰でも体感する方法がある。
見えている機影に手を伸ばし人差し指を向ける。
指先の太さとの機影の比率をざっくりと測る。
人差し指の先端太さは凡そ1度だ。
だから、私の目測では指先の1/3程度の機影であったということ。
では、全長55mの飛行機が0.3度の視角で見えるにはどの程度の距離が必要か?
これは三角関数を使えば計算できる。
sin 0.3° = 0.00523596
飛行機との距離×0.00523596 = 55m
つまり、距離=10504.27424m
ざっくり10Km程度となる。これ、なかなかいい線いってるのではないかと思う。
因みに、
sin 0.5° = 0.00872653
sin 1.0° = 0.0174524
sin 3.0° = 0.052335
先ほどの指先を使った目測でいうと、0.5°は指先半分、1.0°は指先1本分。
3.0°は手の指を立てた時、人差し指から薬指までの間隔だ。
見ている対象物の凡その大きさがわかっている場合、その大きさを視直径のsin値で割り算すれば距離が分かる。
分かりやすく概算値をいうと、指一本分の場合、凡そ対象物の60倍、半分の場合100倍、1/3の場合200倍、指3本分の場合20倍が概算距離になる。
簡単な所作であるが指を使って概算距離は測れますよということ。
因みに太陽と月の視直径はほぼ同じ(だから皆既日食は起きる)。指先半分程度だ。
これ、実は伸ばした腕先から5円玉の穴を見た時の大きさとほぼ同じ。試してみてほしい(ただしお月様で。太陽を直接見たらダメよ)。
では、腕を伸ばして手のひらを大きく広げてみよう。
この時の親指から小指までの角度が凡そ15°
これは星空が1時間に動く角度だ。
窓から星・星座を見ても、まだ東側に見えづらいと思ったらこれで角度を測ってみる。手のひら3つ分であれば3時間後には真正面に目当てのものが来るということ。それまで映画を1本見て待ちましょう。
手のひらって使い出がある。
この方法で前を向いて歩いている時の視野を測って見たらせいぜい手のひら3つ分だった。
私たちの視野ってこんなに狭いんだ…。
見ているようで見ていない。
気づいているようで気づいていない。
知っているようで知らないのだ。
2021年、10大ニュ〜ス(無理あり)
昨年に続きこの1年も多くは自宅に籠っていた気がする。
なので10大ニュースは書きようがないと感じていたのであるが、1年間の写真を整理してみると10項目くらいは無理くりPick UP出来なくも無いと思ったのでまとめてみた。
まあ、他人には意味はない。
私の備忘録として。
1.チャリンコ・ツーリング
長く続いた緊急事態宣言の影響は体重に現れた。
在宅勤務は出勤行為を免除されるという至福のメリットがある反面、運動不足という我々ジジィにとっては深刻な副作用を身体にもたらした。
私はこの2年近くで体重が3Kg近く増えてしまった。
振り返れば会社に通勤していた頃、iphoneのバイタルデータを見れば、なんやかんやで3Km/日は歩いていたようだ。
これ以上の肥満を防ぐためには少なくとも日々3Km程度の散歩は必要ということになる。
よって、この1年間、気候の良い日は心がけて外出するようにした。休日は務めてウォーキングを行なった。
チャリンコツーリングもその一環だ。
婿殿からいただいたチャリンコは電動アシスト付きなので徒歩よりも運動効果は落ちる。しかし、20Km程度までの目的地であれば午前中だけで十分に往復可能。行動範囲がグッと広がる。
今年の前半(秋まで)は週末に湘南までよく走った。
その僅かながらの成果が、いくつかの興味深いお店やスポットの発見だった。範囲は凡そ善行から藤沢駅周辺、片瀬から辻堂海岸だ。
お店については、いつか食事に行ってみようと思っている。
因みに体重は減っていない。
2.アンパンマ〜ン!
横浜だけでなく他にもミュージアムがあるとか…。
孫が大好き。
TDRに限らず孫と行くとどこのテーマパークも楽しい。
3.レイソルに寄り添う
久し振りにレイソルの試合観戦に行った。かなり、久し振りだ。ひょっとして酒井直樹の壮行試合以来か?あの時は旧国立競技場だった記憶。
コロナ対策のため、スタジアムには5000人程度しかサポーターは入っていなかった。対戦相手は浦和レッズであるが、ビジター側に観客は無し。
少し寂しい。
レッズファンはいたらいたで応援がうるさいが、全くいないのは極端な話。
招待券をプレゼントされての観戦。お弁当付きだった。大満足。
早く通常モードのJリーグに戻れるといいな。
今期のレイソルの順位は15位あたり。まあまあかな。
湘南ベルマーレも頑張っているので、たまには平塚にも行ってみようと思う。
4.新しいファミリー
7月に新たな家族ができた。
駒子が子供を産んだのだ。
6匹生まれたが、残念ながら1匹はその日の間に天国に行った。
残り5匹は駒子に大切に育てられ、無事に「子猫」→「普通の猫」になった。
そして、秋までに4匹は里親に引き取られて行った。
手元には男の子が1匹残った。
検診に行った際、病院の先生は「珍しいね。男の子の三毛だ。」と言ったそうだ。
一見、駒子とそう変わらない柄をしているのだが、茶色が入っているそう。
剣心は今日も駒子と遊んでいる。すごく悪戯好きで毎晩運動会をやっている。
駒子は茶トラの「ゆず」に気があるらしく、しきりにモーションをかけるが当の本人は女に興味がないらしく無視している。
駒子はまだ若いがゆずは結構な年だ。
芸能界のようにはいかないらしい。
5.東京でオリンピックが開催されたらしい
よく知らないのであるが、夏にTV放映されていたオリンピックは東京でやっていたらしい。
妻の手元には激烈な抽選会を勝ち抜いてゲットしたバレーボールと陸上競技の観戦チケットが数枚あったが、秋には払い戻されたそうだ。
数万円との事。そんなに高額ではなかったみたい。
払い戻されたチケットは「しゃぶしゃぶ」になった。
緊急事態宣言も収束した12月某日、都内ホテルのレストランで長男・長女の家族を呼んで忘年会を開催。「オリンピック・チケット」は完食された。
アスリートたちも本望であった事だろう。
東京2020が我が家の思い出にファイリングされることはなかった。
既に忘却の彼方に…
6.マンボウ
8月のお盆休みは、孫たちを帯同して八景島シーパラダイスへ。
昨年からの流行語である「マンボウ」を鑑賞。
孫たちはイルカ、マンボウを見て大喜びである。
世の中が落ち着いたら「えのすい」にまた行こうね。
7.アロハの精神で
9月にこっそりと8人で家族旅行。
ここのウオータースライダーは有名らしい。
全部乗ってきた。
家族からは「一番楽しんでいたのジィジだよね」と言われた。
ご時世なのでハワイアンズはスカスカかな、と予想していたのであるがそんなことはなかった。結構な賑わいだった。
感染症対策は完璧。
安心して楽しめるよう細部に至る配慮がなされている。
スタッフの皆さんに感謝。
機会があればまた行ってみようと思う。
8.新天地
娘夫婦が家を買った。
場所は埼玉県某所。
「私も埼玉県人かぁ〜」と長女。
彼女、横浜生まれの横浜育ちであるが、地元では3代住まないと「ハマっ子」とは呼ばれないらしい。
もう、埼玉県人で良いのではないか。
9.北のキッチン
10月末日、所用があり秋田へGO.
写真は秋田市民市場。
妻はハタハタを購入。氷詰めで持ち帰った。
この市場はお勧めする。
10.家族とともに
ドギーズランドについては以前書いた通り。
ワンコたちは今日も元気です。
我が家のプロジェクトは進行中。
来年は一大転機の年になるかも知れない。
コロナの足跡
先週末に久しぶりに帰阪した。
さて、コロナのせいもあるが一体何年ぶりの帰省だったろうか。目的は母のご機嫌伺いだ。
しばらく帰ってなかったので母の健康状態が気にはなっていた。
嫁が「コロナが収まっている間に行ってきな!グズグズすんな!」とケツを叩くのでこうなった次第。
朝、ゆっくりと自宅を出たので何やかんやで大阪着はお昼頃になった。
昼食は当初、新大阪駅「熊メッセ」でお好み焼きを堪能しようと思っていたのであるが、いざ新大阪駅に着くと結構人出も多かったので行くのが億劫になった。
私は新幹線ホームからそのままJR在来線に移動し梅田まで行くことにした。
梅田の地下街に行くとトレビの広場に行くまでに「たこ八」がある。そこでも美味なお好み焼きは調達できる。
狙ったお店に直行、購入。テイクアウトして実家で堪能することにした。
阪神電車で10分ほど移動すると目的地に到着。
そこでは駅ナカにコンビニがあるので母への餞別用のポチ袋を購入するつもりだった。
ところが、駅に着いて改札を出でコンコースを見るといつものコンビニがない!
百円ショップはいつも通り営業しているがコンビニと向かいにあったドラッグストアはシャッターを下ろしていた。
「閉店したのか?」
駅の外側は閑散としていた。
私は足早に駅北側の通路を降りた。
やはり…ない。いつもの店のシャッターが降りている。
いつも実家に帰る際、ここでたこ焼きを買っていた。
ここでずっと買っていた。
実家までの道をゆっくりと歩いた。
多くの商店がシャッターを下ろしている。
コロナ前から(恐らく)地域全体の高齢化の波から閉店するところが見受けられたが、今回の帰省で決定的な結末を見せられた思いだ。
あの焼肉屋も閉店している。
焼き鳥屋も…。
コロナがとどめを刺した。
私の育った下町の商店街は事実上死滅していた…。
母「お好み焼き買ってきたん?」
ゆず「うん、梅田のたこ八で。ここのは結構いけるんよ」
母「この辺のお店、すっかり閉めてもうて。あんたの好きなもん、ここらでは買えへんようになってもうたねぇ」
ゆず「うん。ほんまに…」
その夜、母と久しぶりに色んな話をした。
就職してこの家を離れてからのこと、妻との生活のこと、会社とのかかわりのこと、これからどうするかのこと、(自分の)子供達・ひ孫たちのこと。
それからお互いの終活について話をした。
母からは「これまでよく頑張った」と褒めてもらいとても嬉しかった。
多分、母との対面での会話はこれが最後かもしれない。
母も高齢だし私は今より、より遠くへ行くかもしれないので…
帰り道、今一度、自分の育った町の風景を見て少し淋しくなった。
こんな閑散とした町ではなかった。40年前は。
でも40年も前か…
コロナは私たちから大切なものを奪っていった。
新幹線から見た富士山がとても綺麗な2日間だった。
NHKは必要か
「イラネッチケー搭載」でもNHK受診料は支払い義務あり、との判決が出たとの事。それも最高裁判所判決。
この裁判の論点までは知らない。単に「NHKが映らないから受診料払わねー」と論争したのか…。いや何かもっと深い論点もあったのかもしれない。
私のNHK受診料に関する一市民としての意見は「TVを持っていることを理由に強制的に受診料徴収はおかしい」というものでそこら辺にいるおっさん達と大差は無い。おっさんでなくても多くの人達は同じ気持ちだと思う。
何でNHK法があるのか、制定されたのかについては既に多くの方々はご存知だと思う。確かに時代背景として意義ある部分もありその経緯を完全無視するのもいけないかもしれない。
今、何気に見ているTVドラマ、くだらないバラエティ番組もNHK設立あっての存在と言われるとグウの音も出ない。
しかし、TV自身を持たない、見ない人達が私がイメージするよりも多く、またそれらの方々の多くがVODを利用しているのだとすれば、スクランブルを設定せずに強制的に受診料を徴収するNHKにムカつくのは至極当然のことだ。
見たい番組を見る、見たから料金を払う。この当たり前のことを大多数の方が行なっているのであれば、現NHKのビジネスモデルが歪みまくっているのは自明だ。
その歪んだ実態を最高裁が「適法」と認めた…と多くの国民は捉えることだろう。
「最高裁が決めたことだから仕方がない」
そう思ってしまう世相・社会現象は歪だ。おかしなことだと思う。私たちは「NHKのビジネスは不正常だ」という意見を取り下げる必要は無いと思う。
この問題について政治はどう見ているのか。
「NHK要りません」という政党があるそうだが、それ以外の与野党にNHK法改定の意向はないようだ。
別にこんなもん、どうでもいいと思っていらっしゃる。
唯一、この手のことに踏み込んでくれそうなのは公明党か共産党だろう。
創価学会に知人・友人がいる方は是非頼み込んで見て欲しい。
こういう庶民的で身近、生活面で無視できない事柄に細かく目を向ける意識を持てるのは公明党ぐらいのものだ。
私たちの生活防衛の戦いはまだまだ続く…
NHKビジネスはおかしい、と言ったが私はよく見ている。利用している。
私はビジネスモデルが不正常と言っただけで、番組が不正常とは言っていない。
NHKでよく見ている番組は以下。
・選挙特番、地震速報、台風情報
・昼のニュース、たまに朝のニュース。夕方は見ない。
・漫勉
・時代劇(雲霧仁左衛門、大富豪同心とか意外と面白い)
・女優さん次第で朝ドラ(花子とアン大好き)
・サッカー中継(民放は松木解説がうるさいから見ない)
・ワールドニュース(世界がどう動いているか分かる。おすすめ)
・英雄たちの選択
・コズミックフロントNEXT
・アナザーストーリーズ(菜々子さん大好き)
・ザ・プロファイラー(内容によりけり)
・世界ネコ歩き
・シャーロックホームズの冒険(謎解きが複雑でないのが良い)
・グレーテルのかまど(内容によりけり)
・シネマ(CMなしで録画によし)
一方、民放で見ている番組
・NNNストレイトニュース(11:30-11:45)
・キューピー3分クッキング
・デカ盛りハンター
・日本沈没(録画中。リアルでは見ない。完結してから纏めて見る)
私にはNHKは必要らしい…
ワンコの楽園
緊急事態宣言が明けたこともあり、久し振りに小旅行をした。
妻が犬を連れて宿泊できる良い施設を見つけてきたのだ。
犬を連れての旅行は白馬に行って以来、4年ぶりになる。
名は「ドギーズアイランド 小谷流の里」(https://doggys-island.jp)と言う。小谷流は「こやる」と読むそうだ。
場所は、千葉県八街市。東関道「佐倉IC」から車で30分程度。
施設はICからは近いが少し分かりづらい。
オープンしてさほど時間が経っていないようでUP!のナビゲーション(9年前の地図)では目的地がヒットしなかった。ゴルフ場が隣接しており、ナビが古い場合は「千葉バーディクラブ」で検索すれば良いと思う。間違いなく現地へは行ける。
ドギーズアイランドは、名前のとおり人と犬の双方をゲストとして想定している。よって、犬にとって現地スタッフのホスピタリティは素晴らしい。
何と言っても dog run の設備が充実しているのでワンコ達にとってはまさに楽園だ。
宿泊施設も新しく美しい。
食事も文句なし。
実は何気なくサラダが美味しい。
地元野菜を使っているとのことであるが、抜群に美味しい。明らかに近所のスーパーで売っているものとは異なる。
野菜が大好物とは言えない私ですら「こりゃ美味い」と実感した。
あと、おまけの情報であるがすぐ側(徒歩5分)に温泉がある。「森の湯」と言う。ここ、露天風呂が圧巻である。
ドギーズで割引券を販売しているのでこれを買っておくことをお勧めする。
久し振りの家族旅行であったが大満足。
ドギーズは1泊2食付き、2人ワンコ込みで3万円程度と妻が言っていた。極めてリーズナブルな価格設定だ。
犬を家族にもつ全ての方にお勧めしたい。
ここはワンコの楽園だ。
OBDの実力
朝、自室でいつものように仕事を開始した直後、妻が部屋に入ってきた。
彼女はいつもノックせずにいきなり私の部屋の扉を開ける。以前からずっとそう。
別に構わないが、「ノックしてよー!」と子供っぽく言いたくなる時もある。
因みに彼女の部屋のドアはいつも開けっ放し。なので「お前も嫌だろ!」は通用しない。まあ、それはいい。
それよりも、私がリモートワークに入っている時間なのを承知しているのに、わざわざ私の部屋まで来た事だ。
これは極めて珍しい。何かあったに違いない。
「どしたの?」
「ヤバイ!車が動かない!」
「うん?」
「エンジンがかかんない。こんなの初めて。見てくれない?」
確かに今までなかったことだ。エンジンがかからないとは何?バッテリーは以前の車検で交換してるのでセルが回らないということはないはず。何でエンジンがかからない?
車の運転席に座り、いつも通りキーを回してエンジン始動。
「グルグルグル〜、グルグル〜…」
「?!」
確かにかからない!
一旦、キーを元の位置に戻し、深呼吸。
今度は、慎重にキーを回す。
「グルグルグル〜、プスプス、ギュンギュン〜…」
かかる!
私はポン!とアクセルを浅く踏んだ。
「ブルルル〜、ギュンギュン〜、ブボボ…ブボボボボ…」
エンジンは無事回った。
しかし、明らかにおかしい。これまでに体験したことのない現象だ。
運転席のインジケータを見る。どうやら冷却水の温度異常を示すらしきインジケータが点灯している。水槽に温度計を突っ込んだような絵だ。
「?」
意味が分からない。ラジエターの機能がおかしい?
手元に取説がないので詳細は不明だ。
妻を呼んだ。
「今すぐ、車検をやった整備工場に持っていきな。エンジンはかかったけど、今度止めたららもうかからないかもしれない。温度異常みたいだし、早く持っていったほうが良い」
「わかった」
妻は急いで身支度をし整備工場に車を走らせた。
VWの営業所ではなく整備工場といったのには訳がある。
実はつい最近、車検を通したのであるが、あちこちの凹みや塗装の痛みをメンテしたくて近くの民間整備工場に板金・塗装を依頼したついでに9年目の車検も同時にお願いしていたからだ。
車検完了からまだ3週間も経っていない。まずは、最近検査をした所で、見てもらうのがベターと考えたからだ。
妻は2時間もすると歩いて帰ってきた。
「どうだった?」
「XXに持ち込んだけど、即『外車だから分かんない!』って言われた。しょうがないから、その足でVWの営業所まで持っていった。今すぐ何チャラって機械をくっ付けて検査するから原因はすぐ分かるって。今日中に原因を連絡するって。恐らく冷却系のトラブルだろう、って言ってた」
「そっか〜。XXじゃ分かんないか。」
「うん。初めから板金と車検はしますけど、細かい機械部分はわかんないですから、って言われてたから仕方ないけどね。その分、車検代は安かった!」
結局、UP!はそのままディーラーに4日間入院となった。
(修理に4日かかった訳ではなく点検・車検の予定で一杯で手が回らなかったとの事)
4日後、私は徒歩30分のディーラーまで車を引き取りに行った。
整備(メカニック)の方が故障箇所の説明をしてくれた。
なるほど…、それでエンジンのかかりが極度に悪かったのか…。
彼の理論的・機能的要因に基づく原因説明に納得である。
因みに民間整備工場XXの所見は「外車なので分かりません!」だ。潔し。
これ、XXが悪いとは言えない。そもそも事前にそう言われていたし。
VWの整備工場以外でトラブルシュートが思うようにできない理由の一つは、コンピュータによる障害診断が民間整備工場では出来ないからだ。
VWでは、毎次車検の際に「フォルトメモリチェック」なる検査を行なっている(検査明細に明示されている)。
これ、以前にメカニックに何をしているかを聞いたら「外付けの検査機器を接続してコンピュータが記録している車体情報・障害記録等を読み出しします。そこから車のコンディション、故障になりそうな部分が分かるんです。この車、ちっちゃいんですけどコンピュータの塊なんですよ」と説明してくれたことがある。
これ、メインフレームでいう「マイクロ・ダイアグノース」と同じである。コンピュータ業界では1980年代から本格的に使われている技術だ。
昨今の自動車のIT化は凄まじい。とは言え「ダイアグ」が常識になりつつあることには驚かされた。
そして、今回はこの「ダイアグ」により見事にUP!の故障は早急に原因特定、処理され完治した。
修理代はしめて2万円である。恐れいりました。
やっぱ、検査・整備はディーラーでないとダメってことだ。
今後は浮気することなく、必ずVW営業所に車を持ち込むことにしようと再認識させられた出来事だった。
プリウスに乗っている頃、民間整備工場に持ち込んだことは一度もなかった。
さすがにあの最新技術の権化みたいな車をそこらへんの整備屋に任せようとは思わなかったのは事実。
でも、UP!くらいなら民間でも平気かな、と思ったのであるが結果はダメ。
この通称「ダイアグ」は、OBDという名称で近々装備が義務化されるらしい。
それが、良いのか悪いのか、今の時代に相応しいのかは、まだ判断し難い。
しかし、池袋での有名なプリウス暴走死傷事故以来、「車の暴走 or 運転者の操作ミス」の真偽が社会的な話題になり、結果、このような大層な機能が標準装備として求められる背景になったことは理解できる。
私を含めて、工学系の勉強をしていた人間は、あの事故原因を「プリウスの勝手な暴走」と思うことはまずないだろう。
工学の常識として、車のエンジンを暴走させ続けるには、いくつものあり得ないような前提条件が重なることが必要である。
あのような継続的暴走の原因が機械にあるとは全く考えられないと言える。
そして、あの老人はその常識を誰よりも知っていた筈だ。
今回のUP!の入院騒ぎでOBD義務化の件も改めて認識した次第。
それはそうと、UP!が元気に帰ってきて良かった。
やっぱり、この子が車庫に泊まっていないと寂しい。
究極のリモートワーク
コロナの第何波だか忘れてしまったが、どうやら首都圏においても感染爆発は収まりつつあるようだ。
神奈川県の新規感染者数も100名/日を切るようになり、私の住む市では数名にまで減少している。やれやれである。
東京都の緊急事態宣言の解除後、会社からは「これまでと同様、無理してまで出社に及ばず」の通達が発行された。
私の所属する事業部の方針は「月に2回程度は出社してチームメンバと対面で仕事を行うこと」…この程度だ。
昨年の3月末から本格的なリモートワークに突入したので、在宅勤務はそろそろ1年半になる。通勤定期はとっくの昔に期限切れ。新規購入はしていない。
通勤定期の新規購入に関する本社指示は「概ね3回/週以上通勤する人のみ新規購入せよ」だ。
これ、基準が非常に分かりやすい。JRの通勤定期の割引率を考慮すると3回/週未満の通勤の場合、切符の随時購入の方が経費が安いからだ。
これを踏まえると月に2回程度の出勤を「目安」とする我が職場の方針は、明らかに「リモートワークが通常の勤務形態」ということだ。
いや〜、会社も変化(へんげ)するものだ。
以前から在宅勤務の制度はあったし、会社から配備されているPCにリモート機能は備わっていたので、やろうと思えばやれたが、育児・介護以外の理由でやる者は皆無であった。正直、上司もあまり推奨してはいなかった。
リモートワークには色々と課題もあるが、私にとっては便利この上ない。
以前から、ず〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っと嫌だったことから解放される。
何と言っても「通勤」。
あのすし詰め満員電車。大嫌い。
電車の中の臭い連中。風呂入れ!
必要以上に神経質になっている女性。私しゃ、あんたに触ろうとなんかしてないよ。
乗ってから降りるまでずっと咳をし続けているリーマン(会社休めよ)。
人身事故でいつまで経っても動かない列車とパニックを起こしている駅構内。
台風の中、ずぶ濡れになってバスを待つ時間。
さっきからビールを片手に「諸君はそれでいいのか〜!!」と叫んでいる老人(誰か止めろよ)。
数えれば通勤における不快な事象はキリがない。私だけではなく、多くの人が同じ不快な思いを抱えながら毎日の通勤を余儀なくされていることと思う。
この苦役からの解放は本当にありがたい。
仕事を始める前にこんな嫌な思いをしなきゃならん理由が分からん。
通勤の後には本格的な苦役である"労働"が待ってるというのに…。
さて、自宅にいる時間が圧倒に長くなった生活の中でも気になる事はある。
挙げたらキリはないが…
外を通る車がうるさい。
特にトラック。何で生活道路をあんな猛スピードで走る?そもそもうちの前の道を「抜け道」に使わんで欲しい。北に10mも行けば立派な市道があるじゃん。そっち走れ。
空を飛ぶ自衛隊機もうるさい。
F-16が岩国に行った(空母艦載機の離発着訓練は厚木から岩国に移転された)おかげで以前ほどではないが、プロペラ機であっても飛行機はやはりうるさい。毎日ブンブンとハエのように飛び回っている。鬱陶しい!
道端にタバコを捨てるのはやめろ。
タバコの吸い殻以外に電子タバコの箱がよく捨ててある。電子になったから吸い殻がなくなって良き事と思っていたら、今後は奴ら箱を街中に捨て始めた。喫煙者はとことんクズ野郎だった。
マクドナルドの袋がよく捨ててあるのは何で?マックを食べる者はアホということか?
最近道端で特によく見かけるのは「マスク」。
1年前は貴重品だったのにね。2021年10月現在、地球上で最も不潔なモノは道端に捨ててあるマスクだ。人間はいつからこんなバカに成り果てたのだろうか。
マスクをしている理由を忘れたのか?マスクを道端に捨てる者は公衆衛生を分かっていない。
コンビニに弁当を毎日買いに行くようになって思う。
信号が多い。多すぎる。何でこんなに信号が必要なの?
車も死ぬほど多い。
いや、車でのお仕事ご苦労様…。
ああ、街の喧騒が鬱陶しい…。
色々、あれこれ考えていると、いっそのこと田舎に引っ込んでしまった方がいいのかな…と考えることが増えた。
あれこれ書いた愚痴の多くは、静かな人通りの少ない場所に行けば解消されるものだ。
私が住む街は「地方都市」だと捉えていたが、それでも人口40万人もいれば都会の端くれかもしれない。
人が多ければ、色々と摩擦が生じるのは当たり前のことだ。
私は便利な土地に住んでいるくせに栓ないことを言っているのだ。
話を戻せば、リモートワークは極端な話、日本のどこにいても可能だ。
なにも見えないストレスを抱えながら今の場所で無理して働くこともあるまい。
いっそのこと、地方に行ってリモートするか…
これは究極のリモートだ。
今、移住を考える…
創造的破壊の誘惑
「政府は、社会保障の支え手拡大の観点から、企業に定年の引き上げなどを求めている。一方、新浪氏は社会経済を活性化し新たな成長につなげるには、従来型の雇用モデルから脱却した活発な人材流動が必要との考えを示した。」by 共同通信
サントリー社長、新浪氏の「45歳定年制導入」については、世の中に一定の論議を呼び起こしたようだ。
この荒唐無稽とも見える提言は、経済同友会の夏季セミナーにて飛び出したそうであるが、これに同意する経営者も複数名いたとのこと(具体的にどの程度いたのかは不明)。
後に本人は幾ばくかの釈明をしたとのことであるが、何をどう伝えたかったのかについては、今もって私には不明。何をしたいのかさっぱり理解できない。
冒頭の共同通信の記事引用にあるように、政府は労働力確保・年金財源確保のため「定年延長」を志向しているのであり「定年前倒し」は少なくとも政官からは出ていない。
理由は、社会システムが維持できないからだ(そんなこと子供だってわかってる)。
新浪氏は45歳定年制導入により「会社に頼らない人間」を創出できるとともに「20〜30代の若者は今よりももっと勉強する」ようになると述べているそうだ。そして、それが起業家の大量生産を促し、ひいては日本経済の活性化を促すのだと。
まあ、ネットの賑わいを見るに多くのネット民はそれには同調・賛同はしていない。
私も同調できない。
新浪氏は自分の言っていることの意味を分かっているのだろうか。
とはいえ、本当に45歳定年制を導入したら社会に何が起きるか?少し考えて見た。
まず、企業側に起きること。
45歳で定年だから、当然、45歳以上の社員・労働者・ブルーカラーは企業に存在しなくなる。今の会社に65歳以上の正社員がいないのと同じ(非正規であれば今もある程度は存在すると思う)。
では、45歳以上の人たちが会社に存続するとすれば、一体それは何者?
”役員”だ。
執行役員だとか取締役。専務や "しゃちょーさん"。
課長とか部長は役員ではない。社員だ。だから、管理職も皆45歳未満。
今と比べると随分若い管理職ばかりだ。
この場合、一体何歳から管理職に登用されるのか知らないが、管理職とは言っても皆勤務経験はおおよそ20年未満。明確には想像できないが、大卒入社で7〜8年、30歳くらいで課長、35歳から40歳で部長。そして45歳で定年というパターンが考えられる。
しかしながら、現実論として35歳で部長になったとして、その年齢・経験で重要な経営判断が果たして出来るのだろうか…。
まあ、この仮想社会では超優秀な人でないと管理職にはなれないだろう。さもなくば、会社が潰れる。
ここで起きるのは深刻な「人材不足」だ。
まず、40代の働き手がいない。管理職のことではない。
発汗作用を伴った実質労働をする者のことだ。
真面目に一生懸命、24Hr365DAYS 働く社員のこと。
日本は労働生産性が低く、真面目に働く中年が存在しないかの如く言われているが果たして本当にそうなのか?
それが本当であれば、賃金が高く生産性が低い、いてもいなくても同じであるどうでもいい労働者がどっと消滅する事になる。
それは素晴らしい。
全企業に著しい中空構造が労務構成(人口ピラミッド)の中に現れることになるが、仮説が事実であれば社会全体の生産力は全く落ちない。
街にホームレスが爆発的に増えるだけだ。これにより国の生活保障費は財源が枯渇する。
私はそんなこと(何の影響もなし)はなく、国全体の生産力が壊滅的に落ちると想像する。
事実は分からない。やってみるしかない。
しかし、そのような社会システムの中にあって、企業は一体どうやって経営者・管理者を養成するのであろうか。知ったことではないが…。
この仮想社会においては、会社の勤続は20年程度になるが、当然、初任給・賃金カーブ・上昇の加速度に変化はない。
中年がいなくなった分、若手の賃金が劇的に上昇するなんて事は…起き得ない。この国では絶対に。
余った金は全て経営者のポッポに入るか投資家に配当されるかのどちらか。
お金は労働者に還元しても経営者には何のメリットもない。社員はとにかくただ働けば良いのだ。会社に頼るな、と新浪氏も言っている。
労働者に分配はない。資本家に移動する。どれくらいの時間をかけては分からないが。
今もそうであるが富は経営者や富裕層、投資家など「持つ者」にさらに集中する。著しい加速度で貧富の二極化が進む。
一旦分化した資産・資金は経済学の唱える理想論とは異なり社会や階層を循環し再分配されることはない。そんな事は起き得ない。経営者や富裕層は社会資産を独占し続ける。
やがて、そのことは階級社会を復活させる。そして富を有するもの(権力者)たちは、労働者階級の暮らしを継続的・永続的に圧迫させる。
中世の欧州王たち権力者、富裕層(特権階級)が庶民に対しどう振る舞ってきたか、ハプスブルグ、ブルボン、ルイ王朝等の覇権の歴史を鑑みれば、資産の社会的再分配の結果は明らか。
この国には200年ぶりにアンシャンレジームまがいの階級社会が復活する。欧州にではなくこの極東の島国に。
欧州で同じことをしようとすると一揆や打ちこわし、革命が勃発するので、それは…無い。
今更、欧州で極端な労働搾取は起きない。彼らはバカな政府や会社の言いなりにはならない。絶対に。
彼らは国を社会秩序を壊してでも自分たちの生活・生存権は守る。そういう歴史をかいくぐってきている人達だ。我々日本人とは違う。
自分の身は自分で守らないといけない事を身を以て経験しているのだ。
特権階級の権力者の横暴が可能な先進国は、日本と中国だけだ。
さて、45歳が苦役のGOALなら、35歳くらいで賃金カーブは寝るだろう(抜擢者とそうでないものに別れる)。賃金抑制の万有引力は今よりおよそ10年は早くなる。
この定年前倒しがもたらすパラダイムは、流通業・サービス業のような元から非正規比率の高い業界にとっては大したことではないかも知れないが、製造業にとってのインパクトは凄まじい。
熟練工の存在をベース・前提とする製造業は壊滅する。
例えば、トヨタ自動車からは設計者も優秀なライン工もいなくなる。レクサスの流れるようなボディをハンマーで叩ける熟練工員がいなくなる。
機械、ロボットがモノを作っている企業は平気だが、モノづくりに人手を介しているところは操業が維持できなくなる。その社会的影響がどの程度であるのか私には想像できない。
つい数年前の台風19号の去った後の生産停滞どころの話で済まない事は間違いない。サプライチェーンの問題ではない。プロダクトの存続の問題だ。
この国から匠の神業は死に絶える事になる。
「幾ら何でもそんな事はない、起き得ない」と夢想している企業経営者は…結構存在する。
働く側の変化はどうか。
まずもって、今回の件、65歳まで働くことが「会社に頼って生きている」と経営者から解釈されていることを我々は自覚する。
身を粉にして働き、休日を返上してまで会社発展に貢献している、と盲信していた企業人はこれを機に自我に目覚める。そしてとてつもない憤りを感じることだろう。
事業発展のために身を削って働くリーマンがもし存在するのであれば、もうその生き方は止めた方がいい。
経営者はあなたの献身を「全く評価していない」。
果たしてそのような生物が現存するのかは知らないが。
さて、45歳で定年である。
30歳前で結婚したとして子供がいれば、1番目は中学生になった頃だ。これから(定年後)少なくとも6年間は学業が残っている。
今後の学費を含めた教育費は非正規の不安定で安価な水準の給与から捻出せねばならない。
申し訳ないが、子供たちが高校卒業後、大学・大学院への進学を希望するのであれば、彼らには自費で行ってもらう事になる。ブラックな「奨学金」という制度を利用して。
2人目がいたら、その子の学費はどうしようか…。全く目処は立たない。
45歳定年を機にこの国の進学率は大きく変わるかも知れない。
そう言えば今は借家にいるが持ち家はどうしようか。
当然、住宅ローンを用いるが「フラット35」は使えるのだろうか。22歳で就職し即座に家を購入。35年ローンを組んだとしても23年経過したら定年。ローンの残債務は12年分ある。
そんな条件で銀行は「融資」をしてくれるだろうか。
頭金は物件価格の30%、ローン支払い額も月収の30%が一般論であるが、それだけの貯金、毎月・ボーナス時の支払いは可能か?
一般に持ち家は親からの財産分与でも無い限り無理だろう。
車を購入する余裕などとても無い。
この社会システムを提言した人は「45歳までに会社を作れ」と言ったそうだが、そんな資金はない。給与は全て生活費に回ってしまっている。
今は1円を資本金に企業設立が可能らしいが、そんなのは会社法、「仮想」の話。法的に可能であることが現実的であるとは限らない。
一体全体、資金もなしに何の会社を作れると言うのか。
何にせよ、この国に「安定した生活」は無い。生活の安心・安定は政治家のいう絵空事・政権公約で今ではユートピアだ。霞を食って生きてはいけない。
2021年現在、法定最低賃金は時給1000円が確保されている訳ではない(実質首都圏のみ)。
時給1000円で1ヶ月20日(一応週休2日、祝祭日は休みとしたい)働いたとして月収16万円。年収200万だ。
45歳定年は、これを底辺(標準とはいわない)として生活設計をせよと言っている。
もう一度、振り返ってみよう。
私は45歳。勤続22年。妻は42歳。長女13歳、長男10歳。神奈川県在住。現在ハローワークに通っている。年金支給開始年齢まではあと20年ある。
・・・
これが新浪氏の描く活力ある国・社会の姿だ。
旧態とした社会を変革するには従来の延長線上の発想ではダメらしい。
「創造的破壊」が必要なのだそうだ。
この奇天烈で矛盾した日本語は今でも一部の人たちに好んで使われている。
…なんかカッコイイ響きだ。
創造的で破壊的。
しかし、破滅的でもある。
新浪氏は「プロ経営者」だそうだ。
「眠れる獅子日本」を目覚めさせるのは彼のようなアントレプレナーらしい。
で、あれば単に”創造”だけすれば良いだけではないか。
私には彼が何をしたいのか、さっぱり分からない。
甘いものは苦手
私は甘いものは苦手であまり食べることはない。
子供の頃は大好きであったと思うのだが、大人になってからはほとんど食べることは無くなった。
苦手である明確な理由は思い当たらない。
30歳前後から日本酒を含め、様々なお酒を嗜むようになった事が影響している?世間一般には、酒飲みは甘いものが苦手とも言われている。そうなのか?
確かにお酒飲みながら饅頭を食べるのは辛い。でも、友人達とやった事はある。出来なくはない。
ドーナッツはフレンチクルーラー以外はダメ。
饅頭は温泉まんじゅうでないとダメ(蒸したやつ)。
両親の故郷なので赤福は大好き。
御座候も食する。あの円柱形が良い。一部のどら焼きもOK。三笠焼き・今川焼き辺り。
お彼岸にぼた餅、おはぎは食べる。わらび餅もOK。類似品NG。
カステラ、バームクーヘンは大丈夫。その他の類似品は食べない。
シュークリームは大好き。エクレアも。類似品は食べない。
ケーキはほとんどダメ。戸塚Canardのショートケーキなら食べる。
チーズケーキはチーズ臭くないものしかダメ。
不二家のケーキは一部を除いて食べられない。
羊羮はOK。
あんみつは食べられる。白玉あんみつは好き。おしるこ、ぜんざいもたまに食べる。
クレープは食べない。
プリンは何故か食べる。プリンは何でもOK。あれはどんだけ不味くても大丈夫。
タルトはキルフェボンなら食べる。いや、キルフェボンしか知らない…。
アイスクリームはハーゲンダッツのコーヒー・チョコレート系のみ食する。
サーティワンであれば、オレンジシャーベット系のみ可能。
掻き氷はおおよそオケ。イチゴかメロンシロップがよろし。
・・・
ここまで話したら息子の嫁さんが言った。
「義父さん、甘いものメッチャ好きですね。ただし、良いもの、誰が食べても超美味しいものだけ。」
「?」
「今度、XXXのシュークリーム買ってきますね。すっごい美味しいですよ!」
「是非!」
そうですか…。私は甘党ですか…。
本当に知っている?
「ネットで調べれば何でも分かるから、勉強する意味はない」
「ネットであらゆる知識を得られるのだから学校に行く必要はない」
この類の意見をしばしば目にするようになった。
まあ、いずれはこう言い出す子供が出てくるだろうとは思っていた。
インターネットが本格的に普及し始めた95年頃〜、実用的な検索エンジンが使えるようになってきた2000年頃から…いずれそう言い出す人が出てくると。
別にこの意見についてどうのこうのと言いたい訳ではない。
「子供」と付けたのは、社会に出て働く人間でこのような発想を持つ大人は極めて少数派であろうと想像したから。社会に巣食うおっさん、おばはんには、ありそうだがあり得ない発想だ。
SNS上には、賛同する意見、反論、子供をあやすような説教、頭脳構造を訝しがる厳しい指摘等が溢れている。
ただ、みんながみんなではないが、ネットに存在する情報(知識とは少し違うと思う)を駆使して社会を渡って行く若者(将来の成功者)が、今後爆発的に増えていくことは十分にあり得る。
それはそれで良い。全く悪いことではなく立派。儲ければそれが偉い。勝てば官軍なのだ。
ネットにはビジネスの種が無限に散在している。
私にはそれを生かす知恵がないが。
しかし、分からない…。
ネットで調べても(あまり真剣にググっていないが)分からないことがいっぱいだ。
自分の頭が悪いことは自覚している。それにしても、分からない。
例えば、以下。あげればキリがないがともかく以下。
①第一次世界大戦は何故起きた
②ドイツってどういう経緯で成立したのか
③ポーランドって何回も国がなくなっているのにどうして大戦後独立出来た?
④欧州は何であんなに多くの国に別れていて、言語・文化・制度がバラバラのままなのか
⑥プーチンがクリミア半島に固執した理由は何?どんなメリットがある。
⑦オーストリアって今何してるの?ひょっとして、あなたが全部悪いんじゃない?
⑧ローマ教皇が一体何だっていうの?
そんなことも知らんのか?ネットでググればいくらでもウンチクは得られるぞ、と助言を頂くのだが本当にそうか?
①で知りたいのは各国の目論見。オーストリア・ドイツ以外の。お互いが昔から気に入らなかったっていうのなら理解できる。
②ローマ帝国とドイツの関係性って何なの?
③弱過ぎね?併合され過ぎ。軍隊あるはずだよね?何で復活できた?そんなにアイデンティティ強いの?
④もう少し大きな連邦国家があっても良くね?ドイツ以外でだよ。
⑤オスマン帝国がもっと早く終わってたら良かった?それに何で皆エルサレムにこだわる?
⑥今更感が…。USAが怖くないと何でもあり、ってこと?中国も同じ論理で進出中?
⑦中立国らしいが王室以外の人たちは今どんな外交やってるの?EU纏める意識なし?
⑧ずっと辿っていくと欧州大事件の背後に必ずいない?
というような疑問にネットは答えてくれるのか?
私はシンクタンクのおっさんの言うことは信用していない。
大学の先生方もちょっと…。TVにアホな人が出過ぎるのかもしれないが。
そんなこと知ってどうすんの?とは言わないで。私の勝手だから。
欧州に行った時、住んだ時、ビジネスやりたい時、常識が必要でしょ?欧州歴史観について質問されたらどうすんの?
たまたま友人のフランス人とドイツ人が歴史観を巡って口論していたら「まあ、終わったことだからどうでも良いじゃん」って言うの?
それ、人間性疑われるよ…。
些細な例であるが私には①〜⑧の答えすら分かっていない。他人に教えてもらおうとも思っていない。
自分で答えを探している…。
多分、ネットに私の疑問に対する答えなんか…ない。
情報の海を泳いだら「疑問の回答」が得られるとは私には思えないのだ。
歴史に関する書籍が手元に不足している訳ではない。
様々な情報は断片的には得られるが、それらは私の頭の中で繋がらない。
だから回答になっていない。
この1年ほど、暇があれば欧州の歴史を調べているがまだ分からない。
知ってることと理解して説明できることは違う。他人に自分の考えを伝えるためには関連する状況を理解できていなければならない。
私は欧州の歴史について全く理解していない、できていない…と言うことは、
「知っている。」
だから自分の「知っていること」の範囲を知るためには"学校へは行っておいた方がいい"と思ってる。
自分の考えなので他人のことまでは、知らない…
未満世界
新型コロナウィルスの感染爆発は一向に収まりを見せない。
毎日発表される東京、全国の新規感染者数は新記録を更新中。
デルタだかインド型だか、よく情報を整理・理解できていないが、この1年半の間にコロナは変化を繰り返し、その繁殖を継続している。そして、抜本的対処法を見出せない私たちは、医療関係者の努力にも関わらず人命を失い続けている。
そして、海外ではロックダウン、国内では緊急事態宣言連発による果てしない"自粛"の継続。
私たちは、政府・自治体からの要請で外出・イベントの禁止、個人的に会食すらその人数を制限される有様。
一体いつまで、このような異例の事態が継続するのか…。誰もがそう考えているに違いない。
去年の今頃は、いくらなんでも1年経過すれば収まっているだろうと私自身も安易に考えていた。しかし、現状は予想とは全く異なり事態はさらに悪化している。
「もう、以前のような社会には戻れないのかもしれない」
最近はそう悲観するようになった。
コロナウィルスは私のようなジジイや基礎疾患(どこからどこまでを指すのかは知らない)を持つ者にとっては脅威であるが、若い人たちにはそうではないらしい。
感染していたとしても、多くの場合…具体的に発症率は知らないが、無症状とのこと。
端的にいえば、多くの若い人たちにとっては「感染したら恐ろしい肺炎」では無い。無症状であれば、それは事実上"病気"ではない。
おそらく、若くして罹患して苦しむ人は同年代からは単に「運が悪い」と受け止められるのだろう。
私たちジジイにとっては、その感覚はあまりに無神経であるが、しかし、現実として現下の感染症をどう考えるかは個人の勝手だ。
無症状であっても他人へ感染させる可能性はある…が実際にはどうなるかはその時になってみなければ分からない。
若く無症状だった人が、もし家族や友人、恋人に感染させてしまったとしたら、その時初めてこの感染症と向き合うことになるのだろう。そうなる前に色々と神経質になれと言われても、受け止め方は人それぞれであるのはもう止むを得ない。
今後もコロナウィルスは永続的に変異を重ねていくのかもしれない。
考えたくはないが、ワクチンが開発されたとしても、次の季節にはもうそれへの耐性を持った新種が現れる。そして、そういうことが今後も延々と繰り返される…そんな世の中になるのかも…。
恐ろしい話であるが、SARSが新型コロナに変異した事実を踏まえても、そう受け止めることは非現実的ではないだろう。
インフルエンザがそうであるように、このウィルスと人類の戦いは永続的に続くのかもしれない。
それでは、このウィルスが私たちの社会と共存、いや社会に偏在するようになったら、この感染症はどのような価値観で人々に受け止められるのだろうか…
現状を敢えて"普通"と捉えるなら「ジジ・ババになったらかかる絶望の病」。
一旦発病したら絶命を覚悟せねばならない病気って若い方たちはピンとくるだろうか?
今や「癌」ですら、そのような受け止めはされていないと思う。
以前で言えば「結核」が近いかもしれない。
結核の怖さは、私だってドラマで見たことしかない。しかし、ドラマの中では恐らく致死率99%だ。発病した主人公・ヒロインの多くは絶命することになる。
見方を変えれば、重要登場人物をストーリーの中で悲しく抹消するための手段として結核は使われてきたのだ。恐ろしい病であるが作家にとっては便利なツールだ。
「咳をして血を吐いたら死ぬ…」。これお決まりの死亡フラグ。
今後、重篤な咳をしている中高年を見ると若い方たちは思う。「ああ、あの人はコロナだ。可哀想に…。運が悪いなぁ(やがて死ぬ)。」
この時、無意識に世代間ギャップが生まれている。
「ジジ・ババはコロナで大変だけど、俺には関係ない。いずれ俺もジジになるけどね…。今は関係ない。」
この惑星に生きる人類は、若者でなくったら高確率で重度の肺炎を発症し、その多くはやがて死ぬ…。
若い人たちは、感染しても無症状で抗体を獲得するため、やがて年齢も重ねても発症はしない…ということは無い。
ウィルスは絶えず変異を繰り返す。
今若者であっても、20年後のウィルスは別のもの。20歳の人が20年後、40歳になった時、やはり重度の肺炎を発症する。新々型コロナだ…。
やがて「俺には関係ない」と嘯いていた彼も死ぬ。歳をとって若者でなくなったら、この惑星の人間は咳をしながら「死ぬ」。
コロナウィルスが日常に偏在する場合の人生観とはそういうものかもしれない。
以前「未満シティ」というTVドラマがあった。
かなり端的(乱暴)に言うと、大人(20歳前後)になったら死ぬ、というストーリー。
ただし、とある都市だけのこと。
20歳未満、大人未満の若者たちは、この怪現象(実はウィルスによる感染症)とどう向き合っていくのか…。そんなお話。
このドラマを引き合いに出すのであれば、コロナ偏在の世の中は「未満世界」だ。
中高年未満でないと生きられない世界。中高年になれば皆死を迎える世界。
スタートレックに「400歳の少女」というエピソードがある。未満シティはこのエピソードがヒントになっている可能性がある。
興味がある人は鑑賞してみてほしい。
示唆に富んだ作品であるがこれが放映されたのは今から52年前だ。
どこで野球をやりますか?
夏の高校野球大会が雨のため5度も順延になったとのこと(8月18日段階)。この時期の長雨は珍しく計5度の順延は46年ぶりとの事である。
でも、1975年以来というのだから、そんなに大昔のことでもなく気候大変動というような一大事でもなさそうだ(少なくとも初めてでは無い)。
当事者である高校球児、大会運営等の関係者にとっては色々と頭の痛いことであろう。
しかしながら、今朝の天気図を見るとどうやら雲行きが怪しい。
ひょっとすると、今日も雨天、順延の可能性ありだ。
天気図は、まるで梅雨の終わり時期の様相。前線が西日本にびっしりと張り付いている。
東の太平洋上から高気圧が迫り日本海側には高気圧が陣取っている。当然、それに挟まれた地域は気圧が低くなり雨が降りやすい。前線が停滞する状況。
この構造に変化がない限り、この雨は梅雨のように続く。
長期予報では20日過ぎまで現状が続く可能性あり、と言っていた。順延は7度くらいを覚悟する必要があるかもしれない。
この悪天候の煽りで、大阪桐蔭(大阪)VS. 東海大菅生(西東京)の試合が雨天コールドゲームとなったことで、少なからず騒ぎになっていたようだ。
”SNSでは炎上”という表現がなされていたがこの程度で炎上というなら、世界は毎日火だるま。
大袈裟…
「コールドは球児がかわいそうだな〜」との意見に混じり「コールドゲームは大会運営の判断で避けるべき」との意見もあった。
人ごとの意見である。
野外球場で試合を行う限り絶えず悪天候のリスクは伴う。野球とは悪天候によるコールドゲームあり、そのシチュエーションを織り込み済みのスポーツだ。
だから、その取り扱いについてもルールブックに明記されている。
それを今更言う?
天気予報の状況如何でその都度試合を順延していたらキリがない。運営をやらない者の無責任な意見だ。その意見を持つのであれば自分で運営をやってみれば良い。
しかし…、皆が幸せになれそうな運営代替案はある。
ドーム球場でやればいい。
雨の心配なし。コールドもなし。エアコン付きで熱中症のリスクほぼ無し。
言うことなし、だ。
「夏の大会は甲子園でなきゃ意味が無い!」
と”当事者の高校球児” が声を大に主張・反対するのであれば、この限りでは無い。
ここで、自分が真夏の炎天下でプレーする訳でもないのに、観戦するだけのまさに "外野" が甲子園での試合に固執するのは馬鹿げてる。
外野は本件についての意見を言う資格はない。黙っているべき。
彼らに、球児たちに開催方法を選ばせてあげれば良い。
因みに高校野球大会の開催球場は、そもそも西宮や鳴尾辺りで始まっている。甲子園は絶対条件ではない、とも言える。
いや「甲子園だからこそ、それを目指す」と言うのであればそれは否定しない。セットだと言うのであれば。
でも、甲子園にさえ固執しなければ開催場所も兵庫県である必然性はなく、国体のように持ち回りも可能になる。これは東北・北海道勢にとっては朗報になるはずだ。
東京ドームでやっても野球は野球。
あらゆる競技のルールが時代の変遷により変化している中で、高校野球の開催時期・場所だけが普遍というのも変な話。異常だ。
因みに「雨天コールドゲーム」というのは野球の伝統的ルール。
野外での競技を前提とするスポーツの必然的な枠組みを変えたいのであれば、関係者は甲子園などという場所の前提は撤廃してはどうか。
そもそも、昨年はコロナで大会自体が開催できなかった。
今年は無観客といえど、なんとか開催にこぎつけている。
球児にとってはこれが救いだろう。野球ができるのだ。これが本質。
「甲子園から感動を届ける」
私はそんなことまで望んでいない。
ドーム球場ででもいいから君たちが伸び伸びと大好きな野球を楽しんでいる場面を傍らから観戦させていただければ十分です。